2012/08/02

人生は手持ちのカードで戦っていくしかないのだ、と気づいたこと(米国大学院の出願プロセスについて)

TOEFL iBTの勉強法、というか心構えのようなものについては、このブログで以前に記したことがある。しかし、そのほかの重要な事項、例えばエッセイの書き方などについては、これまで触れる機会がなかった。

そこで今回は、主としてこれから大学院留学を目指す方を読者に想定し(私の愚行を笑いたいだけという読者も一応歓迎する)、私が米国大学院の出願プロセスを通じて得られた知見を伝えることにしたい。

1.総論 (どういう人が強いのか)

米国大学院の出願プロセスは(特に公共政策学やMBAのようなプロフェッショナル・スクールにおいては)、いわゆる「お受験」ではなく、むしろ「就職活動」に近い面がある。そこであなたを待ちうけるものは、筆記試験の点数順といった画一的・定量的な評価ではなく、履歴書やエッセイやインタビューを通じた総合的・定性的な評価だ。乱暴に表現してしまうと、「あなたを入学させるメリット」を大学当局が認めればあなたは合格するし、そうでなければあなたは合格しない。そういう世界なのである。

例えば、あなたがとある公共政策系大学院の入学審査課に所属しているとして、こんなバックグラウンドを持つ志望者が来たとしたらどうだろう。

スラム街に生まれ、6歳の頃からゴミ拾いを生業としていたが、商才あってゴミ拾いビジネスのフランチャイズ化に成功、弱冠12歳にして年収25万ドルを稼ぐに至る。富裕層との人脈を広げていくうち、読み書きすらできない自らの無学を痛感、一念発起して13歳から猛勉強をはじめ、18歳でハーバード大学に合格。19歳で在学中にペットボトルを再資源化するNPO法人を立ち上げ、22歳で環境保全活動の一環としてカリブ海の島を2つ購入した。

なかなか強力な個性と才気に富んだ人物である。すでに環境分野で実務家としてのキャリアを相当に積んでおられるし、クラスのディスカッションでも大いに貢献してくれそうだ。卒業後にはひとかどの人物となって、大学の名声をうんと高めてくれるかもしれない(うんと寄付をしてくれるかもしれない)。

と、あまり決めつけるようなことはよくないけれど、私がもし担当者だったら、彼にはぜひとも入学許可を出したいところだ。

それでは、この人の場合はどうだろう。

伝統的な猿回し師の家に生まれ、8歳の頃からプロの猿回し師として活動を開始、13歳には第89回世界猿回し選手権・ジュニアの部において新人賞&協会特別賞のダブル受賞の栄光に輝くも、当時のパートナーであったシコルスキー君(雄猿・4歳)を肺炎で死なせてしまったことへの責任を取り、周囲から惜しまれつつも引退を決意、世界放浪の旅に出る。16歳の時分、113カ国目に訪れたコンゴ民主共和国において、同国に生息するボノボ(チンパンジーの仲間)が自分に異常なほど好意を寄せることに気づいたことから、現地住民の了解を得てボノボたちとの共同生活を開始。20歳にして、小学校中退の学歴ながらボノボの言語学習プロセスに関する仮説をフランスの学術誌に投稿、世界的センセーションを巻き起こす。

ぐっとくる人生だ。新橋あたりの飲み屋で芋焼酎なんかを傾けながら、この人の来し方行く末について、じっくり話を聞いてみたい気がする。

しかしながら、この人、考えてみると公共政策にあまり関係がない。動物学ならいざしらず、「なぜ公共政策学を志すのか」という観点において、この人のバックグラウンドから強いエッセイを作るには、然るべき推敲が必要とされるだろう。

「就職活動」に近い面がある、というのは、つまりはそういうことである。


2.各論 (どうすれば強く見せられるのか)

出願に必要な書類は大学によって異なるが、概ね共通するものは、「大学の成績証明書」「TOEFLのスコア」「GREのスコア」「履歴書」「エッセイ」「推薦状」である。

ここでは、私の個人的な体験を交えつつ、それぞれの項目について概説したい。


<大学の成績証明書>

日本では、学歴といえば「どの大学を卒業したか」の意味にほぼ等しい。他方、アメリカでは、むしろ「その大学でどんな成績を収めたか」が重要視される。ほとんどの場合、受験者はGPA(Grade Point Averageの略。Aを4点、Bを3点・・・と換算して、4点満点で平均値を取る)を自己申告することになっていて、併せて提出する成績証明書はその証拠という位置づけにある。

ハーバード大学やUCバークレーのようなトップスクールにおいては、一流大学出身でGPAが4.0(つまりオールA)という受験者も珍しくない。彼らにとって、それはゴールではなく、スタートなのである。

それでは、私の場合はどうだろう。ごく控えめに表現して「決して一流とはいえない私立大学」に所属し、在学中には「学年で取得単位の最も少ない学生」として学部長に注意され、案の定単位不足で留年し、必修科目はC(可)やD(不可)ばかりという、まさにカフカ(可・不可)の小説のように出口のない状況であった。

正直なところ、大学から英文の成績書を取り寄せるという事務的な作業すら、その心理的抵抗には大なるものがあった。「大学の成績」という言葉を思い浮かべただけで、私の下腹部には鈍い痛みが走った。私はゼッケンを持たないマラソンランナーのようなもので、スタートラインに並ぶ資格すらないんじゃないか、との疑念を振り払うのに苦労した。できることなら、自分のダメぶりが白日の下に晒されるタイミングを少しでも先送りにしていたかった。

しかし、ある時点から思い直したのは、私は私の過去(過ち、と読み替えてもよい)からはどこまでいっても逃げられない、ということである。私のGPAがなぜこんなに低いかといえば、ひとえに私がアホだったからである。それは私の人生における回避不能な事実であって、いま何をしたからといって私の過去(恥、と読み替えてもよい)が塗り替えられるわけもない。そうであれば、もはや改善の余地なきGPAについてあれこれ呻吟するよりも、これから質を高められる(かもしれない)エッセイに集中すべきではないか。その方がよほど生産的で、救いのある道ではないか。そう気づいたのである。

 詰まるところ人生とは、手持ちのカードで戦っていくしかないゲームなのだ。


<TOEFLとGREのスコア>

当たり前のことだが、TOEFLやGREのスコアは高ければ高いほど良い。巷には、(日本人が英語の苦手な民族であることは米国の大学関係者に広く知られているため、)TOEFL iBTは基準点に満たなくても何とかなるとか、留学生はGREのスコアは関係ないとかいう噂が流布していて、そうした仮説を裏付ける事例を私は知らないわけではない。しかしながら、これは着実にハイスコアを叩き出した人に有利に進むゲームである。藁を掴んで溺死を免れた例があったとしても、最初から溺れない方がずっといい。

私は、約200万円と約1,000時間を投資して、合格者の得点分布の最低点にほぼ等しいスコアを獲得した。こんなに費用がかかっているのは複数の予備校に通ったから(焦りの表れ)だが、後から振り返ると無駄打ちが多かったように思う。公式問題集に加えてDeltaなどの定評ある参考書を繰り返し解き、予備校は「Web TOEFL」のオンライン講座のみ受講し、お金に頼らない健全なモチベーション維持ができていたら、あるいは10分の1以下の値段で必要スコアに達していたかもしれない。まあ、それはどこまでいっても仮定法過去完了の話ではあるけれど。


<履歴書>

日本で履歴書というと、コンビニエンスストアや文具店などで売られているアレを思い浮かべる方も少なくないだろう。しかし、ここでいう履歴書の概念は少し違う。もっとフリーな形式で、「あなたはこれまでに何をしてきましたか」の問いに対する答えを綴る、1~2ページ程度の箇条書きエッセイ、と捉えるとわかりやすいかもしれない。つまりあなたは、自身が売り込みたい要素(とそうでない要素)について、ある程度の取捨選択が可能である。

私の場合、「学歴」や「成績」はアピール・ポイントにはなりえなかった。もちろん大学名や専攻、入学/卒業年は事実として記載したが、それ以上の内容には、慎重なガゼルがライオンの群れに近づかないように、決して踏み込まなかった。

また大学院によっては、公共政策に関連する授業(経済学、法律学、数学、統計学、プログラミングなど)の履修の有無及びその成績を開示する必要があったが、これは私にはシビアな要求だった。(しかし、仮にあなたが、東京大学をGPA4.0で卒業し、執筆した論文で学会賞を受賞し、ゼミの教授と共著で書籍を出版し、在学中に国際機関にインターンをして活躍したのであれば、それらの事実を、静かな誇りとともに履歴書に記載すべきである。それはあなたの努力の成果であって、誰にも奪われることはないのだから。)

「学歴」「成績」方面の記述を最小限に抑えた代わりに、私は「職歴」で勝負した。運が良かったと言うべきだろう、私はこれまで、「世界初」の修飾語を冠するいくつかのプロジェクトに携わってきた。スマートでなくとも、泥臭くとも、それらは確かに「私の仕事」であって、私が大学当局にアピールできる(ほとんど唯一の)事柄であった。私はそれらのプロジェクトについて、なるたけ固有名詞を用い、任期中に達成した成果に焦点を当てて記述した。

その他の項目については、「その情報を大学当局が知ることでプラスになるか否か」を自問して、その答えがYESであるなら追記すればよいと思う。私は、「受賞歴」「出版歴」(主に仕事絡み)のほか、「ボランティア活動」「趣味」といった項目も追記した。例えば、

・大学時代に落語研究会の会長を務め、神社や公民館などを会場として公演活動を行った
・「オデュッセイア」「源氏物語」などの古典文学を読む「カラマーゾフの兄弟研究会」を主催し、7年前から現在に至るまで活動を続けた

といった内容は、公共政策との関連性がほとんど認められないことは自覚しつつも、「この日本人は一風変わつた奴だな。頭は少しく弱さうだけれど、面白さうだから入れてやり給へ。」という酔狂な審査官がいる可能性に賭けた。その判断が吉と出たか凶と出たかはよくわからないけれど。

<エッセイ>

エッセイのテーマは、「なぜ公共政策学か」「なぜこの大学か」を問うもの(Statement of Purposeと呼ばれる)が一般的だが、これに加えて、「直近の3年間で世界に最も影響を与えた出来事は何か。あなたの考えを述べよ」「100万ドルの資本金で新組織を立ち上げるとしたら、あなたは何をするか」などのユニークなお題が与えられることもある。

あるいは、「ポリシー・メモ」という形式で、政策分析などの小論文が課せられることもある。こうしたテーマは大学によって、また入学年度によって異なるので、志望校のホームページをこまめにチェックしておくことが肝要である。

 世の中とは便利なもので、こうしたエッセイ作成を支援するための予備校などというのもあるのだが、私は利用しなかった。予備校で教わるであろう「型」のようなものに下手に染まってしまうと、逆にオリジナリティを減じてしまうと考えたからだ。まあ単純にTOEFLの準備にお金を使いすぎて、可処分所得が実質的に底をついたという事情もあった(こちらの要因の方が大きいかもしれない)。

 そのぶん、推敲にはかなり時間をかけた。2011年の8月から翌年の1月まで、合計200時間ほどだろうか。私の場合、まずエッセイのネタ出しノートを用意して、どこへ行くにも持ち歩くことからはじめた。全体の構成案や、使えそうなエピソードなど、思いついたら何でもせこせこと書き込んでいく。最初は英語で書いていたが、すぐに非効率的であることに気づき、日本語に切り替えた。

 そうやって地道なネタ出し作業を1カ月くらい続けていると、「第一稿」とでも言うべきものができてくる。断片的なアイデアが有機的なつながりを見せ、エッセイの文脈が輪郭を帯びてくる。そうしたら今度は、原稿をパソコンに打ち込み、印刷し、ひと晩ほど寝かせ、主観からできるだけ離れた状態で読んでみる。するとまた手を加えるべき箇所が見つかってくるもので、原稿をまた修正し、また印刷し、また寝かせて、また修正する。そんな地道な作業をひたすら繰り返した。

 「第十稿」くらいにまで辿り着いたあたりで、私は自分の奥さん、上司、留学中の先輩、英会話の先生といった向きに原稿を渡し、忌憚なき意見を求めた。参考になる意見があれば、もちろん原稿に反映する。そうやって時間をかけてぎりぎりと詰めていくと、自分でもそれなりに納得のいくエッセイができてくるものだ。これが私のやり方だった。

このようなプロセスを通じて、私がひとつ心がけた、というか目指したのは、エッセイ(特にStatement of Purpose)のすべてのパラグラフが、世界中で私にしか書けない内容であることだ。

 例えば、私は大学時代に環境に関する研究をしていたことがあるので、これが公共政策(環境政策)に興味を持つきっかけになった、と書けるかもしれない。でも、「大学で環境をやっていたので環境政策に興味を持った」人というのは、世界に何万人、あるいは何十万人といるに違いない。これではオリジナリティは希薄だし、競争力のあるエッセイにはなりえない。

 これに対し、例えば「研究の一環で南極に短期滞在した際に、目の前で氷山が崩れ落ち、巨氷に押し潰されたペンギンの子どもが穏やかな死に顔で南極海に浮かんでいるのを目撃して、私は生まれて初めて地球温暖化の深刻さを腹の底から認識した。そして、自分の残りの人生を、研究者としてではなく、将来の温暖化を食い止めうる公共セクターの一員として捧げるべきなのだと確信した」という記述を交えたらどうだろう。まあこれは架空のエピソードであって、ペンギンの子どもは実際には死んでいないので安心して欲しいのだけど、これと同じ経験をした人は恐らくほとんどいないだろう。審査官の目に留まる可能性も、そのぶん高まるに違いない。

エッセイを練り上げるというのは、すなわち、これまでの人生であなたが手にしたカードのうち、最善のものを最善の組み合わせで使うにはどうすればよいか、その戦略をひたすら考え抜く過程にほかならない。少なくとも私の理解はそうである。


<推薦状>

推薦状とは、その名のとおり、「彼/彼女はきわめて立派な人物であり、貴校への入学を推薦したい」というお墨つきをもらうためのレターである。公共政策系の大学院の場合、大学の関係者(ゼミの教授など)から1通、仕事の関係者(職場の上司など)から2通、あわせて3通というのが一般的で、私もそのパターンであった。

私が執筆依頼をした職場の上司2名は、社交辞令抜きで本当にお世話になった方だった。ともに留学経験を有し、出願プロセスにおける「推薦状」の位置づけをよく理解され、私がこれまでに関わったプロジェクトについて(すなわち私が履歴書やエッセイで最もアピールしたい部分について)、色鮮やかなエピソードを添えていただいた。ありがたいことである。

大学の先生とは長らく没交渉にしており、私のことなど忘れていたかと思いきや、日本酒を持参して無沙汰を詫びつつ伺うと、「研究室の中で異彩を放っていたのでよく覚えている」と解釈に困るコメントを頂戴し、ふたつ返事で引き受けてくださった。これまた、ありがたいことである。しかし、これは後で分かったことだが、あと数週間お願いをするのが遅れていたら、先生は太平洋航海の旅に出ていたところだった。いやはや、相談は早めにしておくものである。

以上、長々と記述を連ねたが、こうすればうまくいくなどと主張するつもりはないし、私にはその資格もない(出願したすべての大学に合格しているわけではないのだから)。むしろ、ビジネススクールで扱うようなケースのひとつとして、あなたが参考になると思ったところを参考にしていただけたらそれでよい。私にとって最上なのは、総じて孤独な戦いである大学院出願プロセスに苦しんでいるあなたが、この文章から何がしかの「救い」を見出してくれることである。

最後に、参考リンクと書籍をひとつずつ紹介したい。

http://gakuiryugaku.net/newsletter_content/2011-11.pdf
米国大学院学生会のニューズレター「かけはし」第7号から、MITで航空宇宙工学を専攻されている小野雅裕さんの筆による「僕のStatement of Purpose論」(6-7ページ)。エッセイ執筆に関して、現在インターネットで無料で入手できる最良の日本語情報はこれだと思う。惜しむらくは、私がこの滋養溢れる記事を発見したのが全出願プロセス終了後であったということだ。

Donald Asher 「Graduate Admissions Essays: Write Your Way into the Graduate School of Your Choice」
エッセイの書き方に関する書籍は日本語でも多く出版されており、私もいろいろと購入した。しかし、結果的にいちばん役に立ったのは本書であった。Amazonでも2,000円出せばおつりが来るくらいの値段で買えるので、英語の勉強も兼ねてご一読を薦めたい。

6 件のコメント:

  1. はじめまして、IKDと言います。
    いつも楽しく記事を拝見させていただいています。

    現在私も2014年のApplyに向けて準備をしております。
    実際は、TOEFLに苦しんでいる段階で、まだそれ以降のGREやエッセイに関しては、そういうプロセスがあるんだなという程度ですが、このように実体験を教えていただけるととても参考になります。

    アップデート楽しみにしております。

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  2. IKDさん、嬉しいコメントをありがとうございます。

    TOEFLの勉強って、本当に大変ですよね。
    私も目を閉じれば、マイクテストで「I live in Tokyo」を連呼する受験生の声とか、Writingで文法ミスを発見して単語を削除した瞬間に時間切れになったときの絶望感とか、ETSのサイトでスコア発表画面を開くまでの不安と期待の入り混じった気持ちとか、いまでも鮮やかに思い出すことができます。嗚呼・・・・。

    IKDさんが目標スコアを達成し、TOEFLから解放される日がいち早く到来することをお祈り申し上げます。

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  3. もうブログは閉じられたみたいですが。
    いかにして大学に自分をアピールするか、とても参考になりました。

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  4. 参考になってよかったです。
    ちなみにいま、たまたま出張でワシントンDCに到着したところでした。

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  5. 初めまして。
    参考になる記事をありがとうございます。
    自分も留学に際して低いGPAが気になっております。
    実際satoruさんは数値にするとどのくらいのGPAだったのでしょうか?

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  6. コメントいただいていたのに、仕事に熱中するあまりブログのことは完全に忘れてました。すみません。

    私のGPAですか。もう忘れてしまいました。2と3の間だったような? しかし私は留年もしたので(物理学科なのにロシア文学と映画と落語にどっぷりハマっていた)、さらに悪条件でしたね。

    2年ぶりくらいにこの記事を読み返しましたが、「詰まるところ人生とは、手持ちのカードで戦っていくしかないゲームなのだ。」とは、我ながらカッコつけたことを言っていますね。でもまあ、本当にそうなんですよね。

    がんばってください。

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