2014/03/21

バークレーで音楽をたくさん聴いたこと

 バークレーに来てから、音楽に親しむ時間が長くなった。ジョギングしながら、ジムで運動しながら、自転車を漕ぎながら(ホントはいけないんだけど)、本を読みながら、政策分析のメモを書きながら。もちろん、虚心坦懐に音楽と向き合うこともある。
 平均すると、たぶん1日5時間くらいは聴いている。西海岸の気持ちのいい天気は、音楽との相性も良好みたいだ。



 情操教育というわけではないが、0歳の赤ン坊と一緒に聴くことも多い。ところが彼は、モーツァルト、シューベルト、マイルス・デイヴィス、スタン・ゲッツ、ビートルズ、エリック・クラプトン、シガー・ロス、DJ OKAWARI、ポート・オブ・ノーツなどにはあまり関心を示さない代わりに、ZAZEN BOYS、group_inou、ゆらゆら帝国、在日ファンク、ザ・タイマーズ、エミール・クストリッツァ&ノー・スモーキング・オーケストラ、ハナ肇とクレージーキャッツ、岡晴夫といったあたりには、目に見えて喜色を浮かべるのであった。
 我が子ながら、いささか将来が心配である。

バークレーには、ジャズの聴けるカフェがたくさんある。ほとんどの店では予約は要らないし、テーブルチャージも取られない。子連れの家族や、独り身の婆チャンなど、客層もいろいろだ。すごく気楽で、すごくいい。

路上のアーティストも多い。ギター、ヴァイオリン、フルートから、ジャンベ、ディジリドゥ、テルミンまで、楽器もまた多様性に富んでいる。

赤ン坊の生まれる前は、コンサートに足繁く通った。トータルで30回以上は行っただろうか。何しろ安いのだ。大向こうの席なら15ドルくらいで買えてしまう。まさしく学生の特権である。
 これだけ安いと、チケットを購入するのも抵抗がない。演目すら確認せずに入場し、「へえ、今日はテノールのソロなんだ」などと気がつくこともしばしばだ。まあいい加減なものだが、こういうのは前知識ゼロの方がかえってたのしかったりもする。
 たとえば、ハイドンの「冗談」(弦楽四重奏曲第38番)は、タイトルのとおり冗談のようなメロディの曲で、場内爆笑となっていたのが新鮮だったし、ヨルグ・ヴィトマンの「狩」(弦楽四重奏曲第3番)は、奏者たちが弓を空中でぶんぶん振ったり、「アーイッッ!」とか「ホイッッッ!!」とか絶叫する狂気じみた曲で、がんがん攻めている感じがすごくよかった。クラシックと一口に言っても、実にいろいろな曲があるんですね。

UCバークレーにあるHertz Hall(写真右の建物)。カルテットやソロのコンサートは大体ここで開かれる。小ぶりでインティメートな建物で、後述するZellerbach Hallよりも私はこちらの方が好きである。

 バークレーで聴いた中で最も印象に残っているのは、エサ=ペッカ・サロネン指揮のフィルハーモニア管弦楽団による演奏だ。サロネン自身が作曲した「ヘリックス」、ベートーヴェン「交響曲第7番」、休憩を挟んでベルリオーズ「幻想交響曲」、アンコールにワーグナー「ローエングリン 第3幕への前奏曲」という、ステーキ・とんかつ・牛カルビ特盛定食みたいな演目だったが(デザートはさしずめ天ぷらアイス)、これがひっくり返るほど素晴らしかった。

 打ちのめされたのは、ベートーヴェン交響曲第7番。この曲について、私はカルロス・クライバー指揮(ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団)の鍛え抜かれた日本刀のような演奏をこよなく愛する者であるが、この日のサロネンは、それに勝るとも劣らない凄みを有していた。
 この運命的なコンサートに私が足を運んだのは、2012年11月9日のこと。当時は苛烈な宿題に追われ、鬱々とした日々を過ごしていたが、「なあに、この演奏に出会えただけでバークレーに来た価値があったじゃないか」と、一転してポジティブな気持ちになった。
 「倒れてもいい。せめて前向きに倒れよう」
 事実、この日を境に生活は上り調子になっていったし、そのときの興奮の「残り熱」は、いまでも私の身体の芯を温めてくれている。

UCバークレーにあるZellerbach Hall。写真のとおり大きな建物で、交響曲やオペラなどはここで上演される。ちなみに、最上階Balconyのせり出した部分にある席(AA列)は、最安値でありながら半個室みたいになっていておすすめです。

 アンドリス・ネルソンス指揮のウィーン・フィルハーモニー管弦楽団も絶品だった。こちらは2014年3月8日、最近の公演だ。
 別の指揮者による前日の演奏が(大きな声では言えないけど)正直ちょっと残念な出来だったので、あまり期待せずに行ったのだが、最初の一振りで電撃に打たれた。特にブラームス「ハイドンの主題による変奏曲」では、危うく魂を持っていかれそうになったほどだ。

 一体に私は、偉大な映画や音楽に接したとき、病膏肓に入って注意力が著しく低下する傾向にある。そういうときの私は、奥さんの話を聞いていなかったり、鞄を置き忘れたり、財布を置き忘れたり、階段を踏み外したり、壁に激突したり、赤信号に気づかず車道に入ったり、エレベーターの「閉」ボタンと間違えて「非常」ボタンを押したり、ズボンのチャックを上げ忘れたり、大小便を漏らしたりと、ほとんど生活無能力者になるのだが、この演奏は、私をそうさせるレベルの演奏であった。

 アンドリス・ネルソンス。ラトビア出身。1978年生まれ、35歳。
 不勉強にして名前を知らなかったが、この人をちょっと追いかけてみようと思う。
 
出所: Andris Nelsons 公式ウェブサイト

 音楽がなくても、人は死なない。
 しかしときに、音楽があるから人は生きていけるのだ。

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