2013/06/30

ホノルルに着いて1週間が経ったこと

 ホノルルに到着して1週間。いま私は、自由の空気を吸い、祝福の雨を受け、平穏の土を踏み、まだ死んでいないのに天国に来てしまったような気分に浸っているところだ。

・・・と、ここまで読んで、「なんだ、こりゃ。このブログは『バークレーと私』ではないのか。なぜ突然ホノルルの話になるのか」と困惑される向きもあるだろう。実は、今回から新ブログの




がはじまるのだ。『バークレーと私』は、前回のジョギングの記事で最終回となる。読者の皆さん、これまでご愛読ありがとうございました。

(バークレーと私 おわり)















・・・というのは真っ赤な嘘だが(すみません)、ホノルルに来ているというのは本当だ。
 実はいま、ハワイ自然エネルギー研究所(Hawaii Natural Energy Institute)でインターンをしているのである。

 GSPPでは、夏休みの間にインターンをするのが卒業要件となっている(フルタイムで10週間以上)。これは混じり気のない100%の義務で、前職の如何にかかわらず、自力で「就職活動」をして勤務先を見つけなければならない。どこにも見つからなかったら?そんなことを考えてはいけない。古今東西、ここまで厳格な条件を定めている公共政策大学院は、おそらくGSPPだけだろう。




 インターン探しのプロセスは、主に冬休みから春学期にかけて進む。その間、就職説明会やネットワーキングなどのイベントが毎週のように開かれることになる。連邦政府の人事担当者もバークレーくんだりまで来てくれる。ワシントンDCにもOB/OGを多く輩出するGSPPの面目躍如といったところだ。

 事務方のサポートもきわめて手厚い。履歴書の書き方、面接の受け方から、人脈の作り方、握手の仕方(!)まで、すべて個別相談ベースで対応してくれる。ここまで行き届いた就職課って、日本の大学にはあるだろうか。いや、ないだろう。キャンパスの3km圏内に近づいただけで精神が不安定になるようなダメ学生だった私に、それを語る資格はないけれど。




 ハワイ自然エネルギー研究所でインターンをするまでの経緯を、以下に簡単に記しておこう。

 インターン先選定にあたり、私の判断基準は、
 1.エネルギー・環境政策に関係していること
 2.アジア・大洋州地域に関係していること
 3.今後の人生で経験できそうにないこと
の3つとした。

 第一志望は、ブータン王国政府であった。その1。ブータンは、電力需要のほぼ全量を水力発電で賄っていると同時に、余った電力をインドに輸出して外資を稼いでいるという、きわめてユニークな立ち位置にある。その2。もちろんブータンは南アジアの国家。その3。今後の仕事でブータンに出張する可能性はかなり低い。いわんやインターンをや。
 しかし、妻が妊娠していたこともあって、最終的にブータン行きは断念した。まあ生後3週間の息子と妻を置いてハワイに旅立つというのも相当なものだが(ホントすみません)。

 次に私は、とある反政府系団体(ちょっと固有名詞は書けない)にアプライしようと考えた。「その3」の判断基準を重視したわけだ。しかし、調べて見ると予想以上にヤバイ感じで、面白半分で入団してみたら面白くない事件が次々に・・・みたいな状況が容易に予想され、こちらも断念するに至った。

 最初に履歴書を送ったのは、バークレーAPECセンター(Berkeley APEC Study Center)であった。しかし、待てど暮らせど返事はない。それもそのはず、そもそもここではインターンを募集していなかったのだ。

 そこで私は、アジア・ソサエティ(Asia Society)のサンフランシスコ事務所に応募した。運良く一次審査をパスし、最終面接にまで進んだのだが、結果は不採用であった。敗因はたぶん、私の英語が下手だったこと(アジア系の団体と思ってたら面接官は3名の白人だった)、それからエネルギー・環境政策に強みのある人材が特に求められていなかったということだろう。残念だが、まあ仕方がない。

 私はまた、イースト・ウェスト・センター(East West Center)のホノルル事務所にも応募した。その返答こそ「今年はインターンを募集していないのよ、ごめんね。With warmest aloha!」というものだったが、別の組織を紹介してくれたり、1泊20ドルという破格の大学寮(いま私がこの原稿を書いている場所だ)を斡旋してくれたりと、こちらが心配になるほど親切に対応していただいた。そのこともあって、私の気持ちは、この比類なき楽園へと急速に傾きつつあった。

 ハワイ自然エネルギー研究所(以下HNEI)の存在を知ったのは、ちょうどその前後であった。HNEIは、名称のとおり、風力、太陽光、水素、バイオマス、スマートグリッド、メタンハイドレートといった具合に、向こう数十年でますます存在感の高まりそうなエネルギー分野を扱う研究機関で、まさに私の関心のど真ん中、どストライクであった。
 研究員は理工学系の出身がほとんどで、公共政策学専攻の学生などは明らかに対象外のようだったが、例によってダメモトでHNEIの窓口に履歴書を送ってみたところ、これが思いのほか好感触。約30分の電話面接だけで採用が決まってしまった。ありがたいことである。Mahaloである。




 私がハワイで働くと言うと、一部の知人からは(特にかつての職場の上司・同僚からは)、「おかしいだろう」「遊びまくるんだろう」といった反応が見られた。下手をすると石を投げられそうな気配がある。しかし、この場を借りて弁解しておきたいのだが、これはまったくの事実誤認である。私は研究活動に専念するためにハワイに滞在しているのであって、決して遊び呆けるためではない。そこのところ、誤解のなきようお願い申し上げたい。

 そう、一見してスキューバ・ダイビングをしているようでも、実は潮力発電の実証可能性について真摯に検討しているのである。一見してウインド・サーフィンをしているようでも、実は洋上風力発電の実証可能性について真摯に検討しているのである。一見して溶岩ハイキングをしているようでも、実は地熱発電の実証可能性について真摯に検討しているのである。一見してアロハ・ビールをぐい飲みしているようでも、実は体内アルコール発電の実証可能性について真摯に検討しているのである。

 ぎゃん。痛い。やめて。石をぶつけるのはやめて。あひゃん。
 

2013/06/13

バークレーのあちこちを走ったこと

 見知らぬ土地を訪れたとき、私はできるだけそこを走るようにしている。散歩より行動範囲が広くなるし、車より近しい視点が得られる。不逞の輩に襲われるリスクも比較的少ない(走っている人間に殴りかかるのは、一般的に難しい)。

 オーストラリアのシドニーでは、オペラハウスを対岸に、祝福された太陽を背にひた走った。
 ベトナムのホーチミンでは、シクロを抜きつ抜かれつ、熱帯の臭気と喧騒の中をひた走った。
 カンボジアのプノンペンでは、ポン引きの兄ちゃんに睨まれつつ、月夜の路上をひた走った。
 ペルーのリマでは、コカ茶を大量に飲んでぐんぐんになりつつ、市街地の遺跡をひた走った。
 サウジアラビアのリヤドでは・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・暑すぎて走れなかった。

 そしてアメリカのバークレーに来た当初は、つまり自転車を購入するまでということだが、自宅からGSPPまで往復11kmをひた走っていた。




 私は別段シリアスなランナーではない。その走歴も、フルマラソンを1回(荒川マラソン)、30kmマラソンを1回(青梅マラソン)、ハーフマラソンを3回(やぶはら高原マラソンなど)という程度で、まあ大したことはない。ランナーとしては「中の下」といったところである。




 私のお気に入りは、バークレー・マリーナ(Berkeley Marina)だ。ここは、
 1.水辺を臨む
 2.信号がない
 3.人が少ない
という、私の考える「理想のジョギング・スポット」の3条件をすべて満たしている。正確に数えてはいないが、累計700kmくらいここを走ったと思う。




 同じ場所を日々走っていると、さまざまな気づきがある。たとえば、私がバークレー・マリーナで発見したのは、

・海辺の植生は思いのほか短い周期で変わること
・野リスにも個性があって、警戒心のある奴とまるでない奴がいたりすること
・季節&人種&老若男女を問わず、凧揚げが人気のアクティビティであること

といったことである。「こうした発見が将来何の役に立つか」と問われても歯切れのよい答弁は用意できそうにないが、その土地に対する自分なりの視点を得るというのは、これはなかなか悪くないものである。






 オークランド在住の方には、メリット湖(Lake Merritt)はお薦めのジョギング・スポットだ。前述の3条件を満たしているし、一周5kmというわかりやすさもいい。一周5kmといって連想するのは皇居だが、メリット湖は皇居に比べてランナーが少なく、また「天皇陛下のご自宅の周りをぐるぐる走り続けるという行為は、はたして表敬にあたるのか不敬にあたるのか?」という疑問に悩む必要もない。まあそんなことで悩むのは私だけかもしれないけれど。






 今年の4月に、日本を代表するギター職人(になる予定)のHiroさんと、バークレーの裏山で開催された30kmのトレイルラン・レース(Grizzly Peak Trail Run)に参加した。トレイルランとは、簡単に言うと山登りならぬ「山走り」のことである。

 コース全体の高低差は約1,200メートルで、数字だけ見ると、高尾山の麓から頂まで行って帰ってくるようなものだ。しかし、高尾山でトレイルランをした経験のある私の実感として、その難易度は★5つくらい違っていた。両手を使わないと登れないレベルの傾斜があるわ、1週間前に降った雨で足元がぐずぐずになっているわと、走るどころか歩くことすらままならない場面が随所にある。よくもまあこんなところをコースにしたものである。

 私は忍者のコスプレをして走ったのだが、そのような異装の輩は私ただ一人であった。それもそのはず、道中これほど過酷で、スタート/ゴール付近にしか応援者がいないようなレースにわざわざコスチュームを着て参戦するような脳天気なアホは、基本的に誰もいないのだ。Except for 自分。私以外には誰も。(子どもたちから「Ninja man!」などと歓声を浴びたので、まあ悔いはないんだけど)






 孤島マニア兼トレイルランマニアの読者諸氏には(そんな方がいらっしゃるかは不明だが)、サンフランシスコ湾に浮かぶエンジェル島(Angel Island)を推薦したい。

 この愛すべき小島には、観光地としての見どころがほとんどない。せいぜいが移民収容所と米軍基地跡くらいのもので、それゆえ、隣のアルカトラズ島とは対照的に、ガイドブックの類からは無視または数行の記述で済まされることが多い。何と言うか、洒落者ばかりの合同コンパに出席してしまった醜男に対するような冷遇ぶりである。だが、それがいい。観光客も少なく、トレイルランには最高の場所なのだ。




エンジェル島の移民収容所には、サカマキ・カズオ海軍少尉(※)のほか、何千人もの写真花嫁(日系一世と結婚するため見合い写真だけを頼りに単身渡米した日本人女性たちのこと)が収容されていたという。

(※)酒巻和男少尉
 1918年、徳島県阿波町生まれ。1940年海軍兵学校卒。1941年の真珠湾攻撃において特殊潜航艇に乗り込み奇襲攻撃を試みたが失敗、酒巻氏を除く乗組員は全員死亡した。
 はじめ酒巻氏は自ら命を絶とうとしたが、思い直して生きる道を選ぶ。捕虜としての態度が立派であったため、米軍関係者も氏を高く評価したという。他の日本兵の自決を止めるなど、多くの命を救ったことでも有名。
 終戦後、トヨタ自動車工業に入社。輸出部次長などを経て、同社のブラジル現地法人の社長に就任。1999年、愛知県豊田市にて81歳で没した。





 走ることのメリットとして、健康になるとか、前向きな気持ちになるとか、頭の働きがよろしくなるとか、昔からいろいろと喧伝されているわけだが、はっきりいって私にはどうでもいいことだ。いや、どうでもいいというのは少し言いすぎたが、でもそれらはあくまで副次的な要素である。私が走る最大の理由は、それが私に考える時間を与えてくれるからだ。「考える」というより「思い巡らす」という方がニュアンスとしては近いかもしれないが。

 たとえば、水素燃料は化石燃料をどこまで代替しうるか、であるとか、通商産業省は我が国の経済成長にどの程度貢献したか、であるとか、オノレ・ド・バルザックがいま生きていたらどんな小説を書くだろうか、であるとか、資本主義は100年後にも成立しているか、であるとか、最初に神を「発明」した人間は誰なのか、であるとか、人間の平均寿命が1,000年になったら社会制度はどう変わるか、であるとか、365日連続で雨が降り続けたら世界はどうなるか、であるとか、屁を我慢しながらウンコをするのは本当に不可能か、であるとか、腸内のウンコを随意にテレポートできる能力があったらどんな悪戯ができるか、であるとか、カレー味のウンコとウンコ味のカレーのいずれかを食しないと絞首刑になるという状況下においてどちらを選択すべきか、であるとか、だんだん知的レベルが低下してきたが、そういったあれこれを思索するのに、走るという行為はとても相性がいい。

 そこに救いがあるかどうかはわからない。しかし、この乾燥したウンコのような私の人生が、走ることによって、あるいは走り続けることによって、その豊かさを増したのは確かである。
 乾燥したウンコから、豊かなウンコになったのだ。






 地球をしばらく止めてくれ。ぼくはゆっくりジョギングをしたい。





2013/06/02

2013年の春学期を生き延びたこと

 2013年の春学期が終わった。クラスメートもしばしば同種の感想を漏らすことだが、今学期は、前学期よりもずっと、それはもう圧倒的にエキサイティングであった。その理由は2つある。

【理由1】
 ややもすると膨大な課題に流されがちだった前学期に比べ、「攻め」の姿勢を保てたこと。
 英語ができるようになるのを待っていたら、いつまでたっても自分のターンは回ってこない。そのことに気づいたのだ。

【理由2】
 後述する「政策分析入門」の授業を核として、これまで習得してきた内容が徐々に有機的なつながりを見せ、自分がいま何を/何のために学んでいるかが以前よりクリアになったこと。
 登山でいえば、鬱蒼たる樹海をようやく抜け、見晴らしの良い山腹に辿り着き、「なるほど。いままで歩いてきた道はこういう風になっていたのか」と得心したところだ。こうなると深呼吸して景色を愛でる余裕も出てくる。
 でも山頂にはまだ距離がある。調子に乗って、ひらり、柵を飛び越えた瞬間、ぐらり、足元がおろそかになって転落&即死、ということにもなりかねない。焦らず悠々と歩を進めたいものである。




<政策分析入門(Introduction to Policy Analysis)>
 必修科目。シラバス的には週4時間だが実質的には週10時間以上。GSPPの天王山とも言うべき最重要科目が、このIntroduction to Policy Analysis、通称IPAだ。「政策立案の技法」をベースとして、ときにミクロ経済学や計量経済学の知識を応用しつつ、切れば血の出る政策課題とどうやって格闘していくか、その技術について徹底的に鍛えられる授業である。
 このブログで以前紹介した32時間プロジェクトはIPAの課題のひとつだが、それはあくまで前座にすぎない。真打ちとして鎮座ましまするは、春学期全体を通して実施されるグループ・プロジェクトである。
 このグループ・プロジェクトは、実在のクライアント(NPOや自治体など)から問題解決を依頼されたGSPPの生徒たちが3~5名程度のチームを組み、いわば政策コンサルタントとして分析ペーパーを取りまとめるというもの。基本的には先方の要望に従ってプロジェクトが進行するのだが、学期の途中で担当者が馘首される、あるいはクライアントの組織自体が消滅する、といった事例もこれまであったという。なんというか、すごくリアルだ。主に悪い意味で。
 今年のプロジェクトは全部で30件ほどあって、たとえばそれは次のようなものである。

・米国政府が講じる地球温暖化対策の効果分析と改善策の提示。クライアントは米国環境保護局(USEPA)

・オークランド市の校内看護師の離職率が高い中で、持続可能な医療サービスを提供するにはどうすればよいか。クライアントはオークランド統一学区(Oakland Unified School District)

・ベイエリアに住む低所得層の母親たちに数百万個のおむつを配布するのに最善の手段は何か。クライアントはHAMO(Help A Mother Out)

・タンザニアの学校にeラーニングを普及させるための最適な手段は何か。クライアントはアサンティ・アフリカ(Asante Africa)

・スリランカのマングローブを守るにはどのような政策が必要か。クライアントはシーコロジー(Seacology)

 各々の担当プロジェクトは、冬休み前に行われる希望調査という名の競争入札によって決まる。私は運良く、第一志望の

・モザンビークの無電化地域に携帯電話の充電インフラを普及させるにはどうすればよいか。クライアントは米国開発庁(USAID)とUCバークレー開発経済研究所(Blum Center for Developing Economics)

を落札することができた。チームメンバーは、

・ ニューヨーク出身、米国農務省や開発系団体で研究者をしていたエヴァン
・ ベイエリア出身、UCバークレー学部卒でヘルスケア業界経験者のヴァン
・ サンディエゴ出身、公共政策学と原子力工学の2つの学籍を持つニック
・ 小笠原母島出身、エネルギー・環境分野の職歴を有するサトル(私)

の4名であった。女性が約6割を占めるGSPPには珍しく男ばかり、年齢もまた30歳前後という穏やかな同質性を示しながらも、各々のパーソナリティは多様性に彩られ、結果として我々は協奏と調和の精神に満ちた美しいカルテットを形成することができた。
 おっと、話を少し急ぎすぎたようだ。まずは簡単にプロジェクトの概要を紹介しよう。

 米国開発庁の途上国支援ダマのひとつに、「モザンビークの農業従事者に携帯電話をうまく活用してもらう」ためのプロジェクトがある。従来の原始的な農法には限界があるところ、携帯電話があれば農業に資する気象予報などの情報にアクセスできるし、モバイルマネーを使えば資機材投資のハードルも低くなるので生産性向上に役立つだろう、という目論みである。
 現在、米国開発庁はモザンビークの小さな集落を対象として、地元の携帯事業者と一緒に数年前からフィージビリティ・スタディを進めている。これを仮に「プロジェクトM」とする。
 この「プロジェクトM」の前途には、当然いくつもの障害が予想される。たとえば、「モバイルマネーなんていう未知の概念を、そもそもモザンビークの人々は理解してくれるのだろうか?」という疑問にどう答えるか。あるいは、「携帯電話云々の前に、この集落には電気が通っていないんだけど、そのあたりどうするの?」という、もっとラディカルな問題もある。これはなかなかに熟考を要するテーマだ、うーん、どうしよう、困ったな、それじゃあバークレーの学生にでも考えさせてみるか・・・というわけで(かどうかは知らないけど)、GSPPに政策分析を「委託」することになったわけだ。

モザンビークの燃料別発電量の推移。ほぼ全量が水力発電で賄われている。(出所:OECD/IEA 2011)

モザンビークの携帯電話普及率の推移。2009年時点で26%に達したものの、肝心の電化率は国全体で8%、地方ではわずか0.2%という貧しさである。このギャップをどう解決するか。それが問題だ。(出所:Brouwer and Brito 2012)

 我がチーム・ブラザンビーク(Brozambique。「Brother」と「Mozambique」の造語。前述4名のメンバーで命名した)は、「無電化地域に携帯電話の充電インフラを普及させる」ことを目的として、主に下記3点について分析することにした。

その1: どの技術/製品が最適か?
その2: どのように配布するのが最適か?
その3: その仕組みを回し続けるにはどうしたらよいか?

 1つ目の「どの技術/製品が最適か?」については、「アフリカで商業化/実証化済みで、かつ製品単価が公表されているもの」を調査したところ、約20種類の製品が該当することがわかった。
 国としてはケニアが最も多く、実に半分以上が同国内で流通/実証されている。やはり経済的に豊かな国の方が普及しやすいのだろう。これらの事例は、「その2」や「その3」を考える際にも大いに役立った。
 技術のバリエーションは、予想以上に多種多様であった。たとえば、太陽光ひとつとっても、屋根に設置するもの、ランタンと一体型になっているもの、USB接続でiPadなども充電できるもの、携帯電話の裏面に太陽光パネルが備え付けられているもの・・・といった按配に、まあ実にいろいろとあるのだ。手回し発電機だって有力な選択肢だし(災害時と同じで、インフラが不足しているときには概してシンプルなものが強い)、そのほかにも自転車、熱電気、小型風力、ペットボトル発電・・・とリストは続く。


 このように数多い選択肢の中から、何が最適かを、どうやって決めればよいのだろうか?(How do we decide which is the best?)
 ここで登場するのが「政策立案の技法」の「ステップ4:判断基準を選ぶ」である。チーム・ブラザンビークは、以下の判断基準を設けることにした。

【3つの実効性(Effectiveness)】
 ・適用性(Appropriateness):実証サイトの諸条件に適っているか?
 ・耐久性(Durability):長期使用に耐えうるものか?
 ・簡便性(Ease of Use):地元住民にとって使いやすいものか?

【3つの効率性(Efficiency)】
 ・充電の効率性(Charging Efficiency):充電に要する時間や労力はどのくらいか?
 ・正の外部性(Positive Externalities):CO2削減や雇用創出などの余得はあるか?
 ・規模の拡大性(Scalability):インフラを増設するのは容易か?

 結論から先に述べよう。
 我々は、太陽光充電器がベストと判断した。他の選択肢も確かに魅力的ではあるが、たとえば自転車発電は「適用性」に難がある。なぜなら、モザンビークの地方は(ケニアの都市部と違って)道路が舗装されておらず、自転車発電に必須とされるスピードが存分に出せないからだ。同様に、手回し発電も面白そうだけど、ケニアで行われたある実証試験によると、使いはじめて2年後に壊れた事例があるという。アフリカの人たちの腕力の強さを鑑みると「耐久性」に不安あり、というわけである。


 2つ目の「どのように配布するのが最適か?」については、主に2つのオプションがあると考えた。つまり、「各個人/世帯にひとつずつ配る(Individual)」のと、「村の要所に充電センターを設けて皆で使う(Centralized)」というものだ。
 さて、ここで質問。あなたが米国開発庁の担当者だとしたら、IndividualとCentralized、どちらのオプションを選びますか。

【主な背景情報】
・ 対象サイトの総人口は2,000人
・ 人口密度は1km平方あたり40人
・ 携帯電話の普及率は12%
・ 平均年収は372ドル
・ Individualに最適な(と我々の考える)製品は30ドルのd.lightで、Centralizedの場合は275ドルのReadySet
・ 充電屋さん(ディーゼルエンジンなどで携帯電話を充電する店)の料金相場は、充電1回につき約15セント。モザンビークの人々は、ときに15km以上の距離を歩いて(!)店に行くという

 いや、これはなかなかに苦渋の選択だと思う。
 それぞれの長所と短所を整理しよう。まず、Individualには、「公平性を保てる」「充電屋さんに行くコストが減る」という長所がある一方で、短所として「発注単位が多いので輸送費を含めた総費用が高くなりがち」「配布後のメンテナンスなど援助後の持続可能性に不安あり」などが挙げられる。
 次に、Centralizedには、「総費用が安くなる」「経済活性化や雇用創出などが期待される」という長所が認められるものの、「充電インフラのアクセス面で公平性が保てるか不安あり」「(課金制にした場合)全員に支払い能力があるか不安あり」といった短所も否定できない。

 改めて質問。IndividualとCentralized、あなたならどちらを選びますか?

 チーム・ブラザンビークは、議論の末、最終的にCentralizedを選んだ。いろいろと考えてわかったのは、これは結局「どの判断基準を優先させるか」という話に帰着するということだ。そして我々は「効率性」を優先させた。つまり、「実効性」にはやや劣るものの、費用対効果や継続性の点でより優れている(と思われる)Centralizedのアプローチを取ったのである。

①携帯プロバイダー、②充電事業者、③顧客の三位一体ビジネスモデル。このとおりうまくいくか、課題は山積だ。

 3つ目のその仕組みを回し続けるにはどうしたらよいか?」は、言い換えると、「資金を投入した後にもその効果が持続可能であるためにはどうしたらよいか?」ということになる。
 いま我々は、配布オプションとしてCentralizedを選択した。しかし、その中にも「無課金制」か「課金制」かという大別がある。地元民にしてみれば、当然お金を払わなくてオッケーな無課金制の方が嬉しいけれど、その仕組みは補助金が無くなった途端に瓦解するおそれがある。といって打ち出の小槌のように永遠に補助金が出るわけではもちろんない。金の切れ目が縁の切れ目、補助金がなくなりゃハイそれまでヨ、という悪しき前例を、我々はこれまで嫌というほど見てきた。そのパターンは何としても避けたい。
 それなら課金制にすればいいじゃん、市場原理に任せりゃいいじゃん、神のインビジブル・ハンドでみんなハッピーじゃん? などと単純にいかないのが途上国支援の難しいところで、なぜなら人々の所得が圧倒的に少ないからだ。賢明な読者諸氏はすでに思い起こされたであろうが、モザンビークの平均年収は372ドルで、初期投資に必要なReadySetは275ドルである。そんな経済条件下で、どこの馬の骨ともわからない太陽光充電器を購入して新規事業をはじめるというのは、相当リスキーというか、まあ自殺行為である。俺たちに充電ビジネスをやれって?金だけ置いて消えちまいな、ファック・ユー。というわけである。

 実際のところ、Centralizedの充電ビジネスは、どの程度うまくゆくものだろう?そして、我々の援助を条件として新規事業者が現れるとしたら、彼らにどのくらいの資金供与をするのが適切だろう?
 この質問に答えるため、我々はフェルミ推定を使って評価することにした。フェルミ推定とは、ご案内の方も多いかもしれないが、たとえば「シカゴには何人のピアノ調律師がいるか?」「東京都に電柱はいくつあるか?」といった直接的に答えるのが難しい質問に対して、いくつかの仮説を重ねて論理的に概算する手法のことである。我々の推定は、たとえばこんな按配だ。



1. 対象サイトにおける1日あたりの充電需要は、【103件】。
2. この需用を満たすのに必要なReadySetの数は、【10台】。



3. 充電屋さんの密度は、【5km平方あたり1店舗】。



4. 各店舗の1日あたりの予想売り上げは、【1.87ドル】。



5. 新規事業者は【15ドル】を投資すれば、1年以内には原資を回収できる計算。
(残りの260ドルは補助金で賄う。つまり、人件費や輸送費などを除けば、260ドル×10台=2,600ドルの予算が必要となる)


 もちろんこれは仮説に仮説を重ねた概算にすぎない。その正確さについては推して知るべしだ。蓋を開けてみたらやっぱり金だけ置いて消えちまいな、ファック・ユー、ということになるかもしれない。しかしどうだろう、絵に描いた餅としては、わりに美味しく食べられそうな餅ではないだろうか。
 そして、(この餅をちゃんと食べるための心得としての)チーム・ブラザンビークの提言は次のとおりだ。

・ 地元の携帯電話会社を通じて、充電ビジネスを立ち上げたい住民向けの研修を無償で提供すべき。

・ ReadySetは耐久性に優れた製品として知られているが、必要であればメンテナンスに関する研修も提供すべき。

・ 製品の盗難リスク(アフリカでは軽視できない)に対処するため、盗難防止チェーンまたは盗難保険、あるいはその両方への投資を検討すべき。

・ 1回あたりの充電料金として設定した【0.2ドル】が地元住民にとって高すぎるようであれば、援助額を増やして価格を低めに抑えられるようにするべき。


 このブログでは、自慢につながるような文章をなるたけ書かないようにしているが、ここでは少しくご容赦ありたい。このプロジェクトは、控え目に言ってかなりの成功を収めた。指導教官からは最高の評価を受け、クラスメートからは中間/最終プレゼンで最も肯定的なフィードバックをもらい、クライアントからも絶賛の声をいただいた。
 ここまでうまくいったのは何故か、つらつらと慮ってみれば、これはやはりチームメイトの個性の組み合わせが(たまたま)絶妙だったから、という結論に尽きる。
 調整型リーダーの典型であるエヴァンは、物腰柔らかに見えて本プロジェクトをGSPPに「逆提案」するほどの情熱の持ち主で、プロジェクトに対する思い入れにも深いものがあったが、しかし他のメンバーの意見をしっかり聞く耳も持っていた(誰にでもできることじゃない)。
 GSPP内外の人脈の豊富さにかけて彼の右に出る者はないヴァンは、弁の立つタイプでありながら決して攻撃的ではなく、イワシ網を引き揚げる漁師のような頼もしさで、議論をぐいぐいと引っ張ってくれた。
 アメリカ人としては珍しく内気な性格のニックは、人の発言を遮って自分の主張を押し通すタイプでは決してないが、しかし議論の要所においてエンジニアリング専攻ならではの切れ味のよいアイデアを出してくれた。また、企業と交渉してReadySetの実物を借りてきてくれたのも彼である。
 そして私、サトルは、英語が下手なのでコミュニケーション力としては飛車角落ちとなるが、チームメイトを笑わせるのはわりに得意だったし、政策分析に関する「Different Viewpoints」の提供という面でも貢献できたと思う(たとえば上述のフェルミ推定は私の発案だ)。また、これまでの職歴で得たコネクションを使ってモザンビークの情報を得られたというのも大きかった。ご協力いただいた皆さま、この場を借りて改めて御礼申し上げます。

 最後に、本授業のみならず、これまで経験したグループワークを通じた私の気づきの点を3つほど記してみたい。一般化するつもりはさらさらないが、これから留学される方の参考となれば幸いである。

・チーム内の「貢献度の大きさ」と「発言の及ぼす影響力」は比例すること。
 まあこれは日本でも同じですよね。自分の意見を通したいなら、まずはチームの役に立たないといけない。

・発言の多い奴 and/or 声の大きい奴が優れた意見を出しているとは限らないこと。
 これも日本と同じだ。

・自分の「強み」は、チーム内の相対的なものであると自覚すべきこと。
 経済学の「比較優位の原則」と似てますね。たとえば私は、チーム・ブラザンビークの一員として作業を進めていく中で、自身の相対的な強みは「数学」「ロジック」「わかりやすいプレゼン資料づくり」にあると認識するに至った。別のチームに入れば、また別の相対的な強みが見えてくるのだろう。


<ミクロ経済学(The Economics of Public Policy Analysis)>
 必修科目。週5.5時間。前学期の同名授業の後半部にあたる内容で、引き続き「公共セクターで戦うための経済学」に焦点があてられる。具体的には、完全競争モデルにおける生産物/労働/資本市場の効率性と公平性、市場の失敗と政府の失敗、公共財と外部性などについて学ぶ。
 アメリカの経済学は計量(数学)重視という話をしばしば聞くが、本授業はそれとは好対照で、数学の知識はむしろ学部レベルに留まる代わり、「どうしてそうなるのか」「その背景には何が隠れているか」「政府/NPOはどんな手を打つべきか」といった、いわば文脈の理解に力点が置かれる。たとえば政策分析メモの課題は、コーヒー豆の世界市場に関するケーススタディを読んで

・コスタリカの農業大臣に対して、同国が今後も市場シェアを獲得し続けるための中長期戦略を提言せよ。

というものだし、期末試験には

・赤道付近の某途上国にWHOから疫病対策ワクチンが届いたが、その量は患者全体の4割しかない。この状況下で、①補助金でワクチンの市場価格を下げる政策と、②配給券を無作為に割り当てる政策のどちらが望ましいか、公平性と効率性を判断基準として分析せよ。

という問題もあった。どうです、面白そうでしょう?面白いんです、実際これが。
 本授業の担当はLee Friedman教授。前学期でも使った教科書「The Microeconomics of Public Policy Analysis」の著者なのだが、その記述は親切心に溢れるも冗長に転じてしまった箇所が散見されると評すべきか、まあ端的に言うと読みづらい本で、また氏の風貌にもどことなくルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェンっぽさが漂うというか、「苦しみを突き抜けて・・・歓喜に至れ!」と訴えかけてくるような気配があり、臆病者の私はやや敬遠ぎみであったのだが、授業がはじまってみると、実はいちばん教え方のうまい先生であることに気づいた。英語も聞きとりやすいし、ときどき冗談も仰せられる。畢竟、クラスメートからも慕われる。作品=教科書は愛されなかったが、本人は大いに愛された。ベートーヴェンとは逆のパターンである。
 週3回のレクチャー、月1回のプロブレム・セット、中間・期末テストがそれぞれ1回ずつ、そして上述の政策分析メモが1回。結構なワークロードだが、次に述べる計量経済学に比べれば楽な方だった。


<計量経済学(Econometrics)>
 必修科目。週5.5時間。前学期の統計学から緩やかに連続した内容である。具体的には、単回帰分析、重回帰分析、最小二乗法(標準的仮説が崩れた場合の分析手法を含む)、ダミー変数、パネルデータ分析、準実験デザイン、計測変数などの理論とともに、それらの手法を政策分析の「道具」としてどのように使いこなすかについて、さまざまな論文を取り上げながら実践的な講義がなされる。
 愚かな私は、GSPPに入学するまで計量経済学なる学問がそもそも何なのかすら理解していなかったが、いまならわかる。一言で表すなら、これは「ある事象が別の事象に与える影響について、その確からしさも含め、可能な限り定量的に理解しようとするアプローチ」のことだ。然してその応用範囲はおそろしく広い。というか、公共政策のほとんど全領域をカバーできるのではないか。たとえば、

・飲酒運転を厳罰化する法律は、犯罪発生率をどれだけ減らすことができたか?

・性別/人種による賃金格差はどの程度存在し、それは年々是正されているか?

・貧困層向けの住宅補助を行う際に、どのような入居審査基準を設けるべきか?

・太陽光発電に対する技術開発補助金は、どの程度の政策効果を上げられたか?

・「片親の子どもは学力が低い」という主張は正しいか?

・母親の喫煙習慣の有無は子どもの体重に影響を与えるか?

といった具合に、枚挙にいとまがない。また、このブログで以前紹介した

・「日照時間が低いほど自殺率が高くなる」という主張は正しいか?

も、まあこれを政策立案につなげるのは実際難しいが、計量経済学の射程圏にある内容だ。GSPPが本授業をなぜ必修科目とするのか、今学期を終えてようやく理解できた気がする。
 担当教授はミシガン大学から引き抜かれたというRucker Johnson氏で、教科書もまたミシガン大学ゆかりのJeffrey M. Wooldridge「Introductory Econometrics」であった。本書は計量経済学の分野で最も定評のある教科書のひとつとされ、その懇切丁寧な記述には私も大いに助けられた。「留学はしないけど計量経済学は独学で身につけたい」という意欲ある読者には、本書の購入をお薦めしたい。
 週3回のレクチャー、月1回のプロブレム・セット、中間テスト2回(!)、期末テスト1回、そして約2週間の作業を要するグループ・ワークが1回。プロブレム・セットの1回ごとの分量も異様に多く、学期中は毎日何らかの課題に追いまくられていた。数学を不得手とするクラスメートから最も多くFuckという言葉を冠せられた授業でもある。


<Stataワークショップ(Stata Lab for the Public Policy Analyst)>
 選択科目。週1.5時間。計量経済学の補講的位置づけとして、今学期でも頻繁に使う統計ソフトStataの習熟を目指した授業。
 新しいコマンドを覚えて、例題を解いて、また新しいコマンドを覚えて・・・という、基本的にはその繰り返しである。プログラミングの授業を履修されたことのある方ならイメージしやすいかもしれない。私も久しぶりに、学部時代に受けた「計算物理学」の遠い記憶を掘り起こすことになった。別にそんなもの掘り起こしたくもなかったけれど。
 担当講師はGSPPの博士課程の学生。彼女は教える意欲に満ち満ちていて、まあそれはいいんだけど、週1回のペースでプロブレム・セットが出され、しかも採点がかなり辛口なのには辟易した。いや、こういう類のソフトに習熟するには畳の上の水練では駄目で、実際に川に入って泳がないと身につかないのは重々承知しているつもりなんだけど、いかんせん(1単位の授業にしては)水流が強すぎて、ついに私は息継ぎするのを諦めた。

 「やあ、サトル。残念だが、君のStataワークショップの成績が芳しくない。このままでは単位が取れそうにないので、履修を取り消すことを強くお薦めする」
 Rucker教授から送られてきたメールは、私の胸の内に、安堵と落胆の入り混じった茶褐色の感情を呼び起こした。それは劣等生には懐かしい感情だった。
 私は、誕生日に祝福されなかった子どものように、バークレーの海辺に沈みゆく夕陽の影を、よるべなく眺めるばかりであった。
 どこか遠くで鴎が鳴いた。


<経済史(Economic History)>
 選択科目。週3時間。本来は経済学部の授業であるが、他学部からの履修も数名許されている。私はその数名のひとりとなった。
 UCバークレーは基本的にどの学部も世界トップレベルなので、その履修授業の選択肢の豊かさに、多くの学生は楽しく困惑することになる。環境資源工学、イノベーション論、原子力政策学、環境法、中国政治学・・・。こんなに魅力的なラインナップから、何をどうやって選べというのだろう?私も楽しく困惑した。
 しかしもちろん、すべての授業を取るわけにはいかない。そこで私は、「政策立案の技法」を使って(というほど大仰なものではないけど)、意思決定に際して2つのシンプルな判断基準を設けた。すなわち、

その1. 在職中に系統立てて学ぶのが難しいこと
その2. 5年、10年経っても古びない内容であること

である。経済学は双方の基準を満たす筆頭例だろう。その1。仕事をしながら経済学を独学で身につけるのは、不可能ではないが簡単でもない。その2。最先端の経済理論には流行り廃りがあるけれど、基礎となる経済学の思考の枠組み自体が陳腐化することは(たぶん)ないだろう。量子物理学の成立後にも古典物理学がその意義を失わないのと同様に。
 私は、経済史もこれら2つの判断基準を満たすと考えた。その1。勤務の合間に歴史を学ぶのは難しい。その2。一般的に歴史の知識は古びない。なぜならもともとが古いからである。

 いま振り返ってみても、上記の判断に狂いはなかったと思う。ただ誤算だったのは、この授業は経済学博士課程の必修科目で、講義も生徒も予想以上にレベルが高かったことだ。まあそれくらい事前に調べておけよという話だけど。
 一例を挙げると、毎週、累計200ページ程度の関連論文を授業前に読み、「19世紀と現在のアメリカ労働市場の相違点は何か?また、その違いをもたらした最大の要因は何か?」といったお題に対する小論文を毎回提出しなければならないのだが、私のペーパーが12ポイント&ダブルスペースで、その中身もせいぜいが論文の拙い要約であるのに対し、他の生徒のそれは9ポイント&シングルスペースで、経済理論を駆使した独自の批判的分析がふんだんに盛り込まれている。さらには、学期末に課せられるテーマ自由のリサーチ・ペーパー(15ページ程度)では、生徒の提出物の多くが学術誌に掲載されるという。博士課程の学生と私。彼我の力量の差を表現するには、天文学的単位を用いる必要があるだろう。
 これは、漫画「ドラゴンボール」でいえば、魔人ブウ編あたりの天下一武道会に誤って参加登録してしまったヤムチャのようなものである。ゲーム「ドラゴンクエスト」でいえば、最初の町の近くの浜辺で泳いでいたら誤って竜王の城に漂着してしまったレベル1の勇者のようなものである。映画「江戸川乱歩全集 恐怖奇形人間」でいえば・・・いや、もうやめておこう。

 とまあ、そのように苦しい展開ではあったが、全体として発見に満ちた愉快な授業だったのも事実だ。週替わりのトピックは、「マルサスの人口論とその統計的検証」「奴隷貿易が各国の労働市場に与えた影響」「世界恐慌とマクロ金融政策」など、なかなかに幅広い。
 これまで理解していた(と自分では思っていた)世界史が、経済学という名のたいまつで照らしてみるとまた違った景色が見えてくる、この鮮やかな知的興奮。公共政策とは別の種類の面白さがそこにはあったし、逆にGSPPで習った計量経済学の手法が経済史でもしばしば使われるのに驚いたりもした。加えて、学問とは分野を問わず絶え間ない仮説と検証の繰り返しによってのみ前進するものなのだ、と改めて認識することもできた。

 講義の前半はJan de Vries教授、後半はBarry Eichengreen教授が担当した。de Vries教授は、ヨーロッパで「産業革命(Industrial Revolution)」が起こる前に「勤勉革命(Industrious Revolution)」という、家内制手工業のレベルで労働市場の需給に革新的な変化が起きていたとする学説の提唱者として有名な方である。Eichengreen教授は、IMFの政策アドバイザーや経済史学会の会長を歴任され、国際金融論に関する著作が日本でいくつも翻訳されているという、これまた超有名な方である。(と書いておきながら、蒙昧な私は両名とも存じ上げなかったことをここに告白したい)
 そんな超一流の教授たちに読ませるのは恥ずかしかったが、私のリサーチ・ペーパーでは、「日米英の産業革命の原因と構造に関する比較分析」を主題に掲げ、「日本はその時代にイノベーションを起こしたか?」「日本(という途上国)はなぜこれほどまでにうまく経済成長できたのか?」という角度から切り込んでみた。

過去200年にわたる日米英の一人当たりGDPの経年変化。世界経済の主役が要所で入れ替わっている。(出所:Maddison Project)


【疑問1】日本は「その時代」にイノベーションを起こしたか?
 日本はこれまでイノベーションを起こしたか?その答えはもちろんYESだ。日清食品のチキンラーメン、ソニーのウォークマン、トヨタ自動車のトヨタ生産方式、岡野工業の痛くない注射針、そして千年に一度のイノベーションともいえるのが、ひらがなとカタカナである。
 しかし、その期間を日本の産業革命の時代(諸説あるが、ここでは1890~1910年代とする)に限定したとき、その答えは依然としてYESだろうか?英国におけるミュール紡績機に値するような製品を、その時代の我が国は生みだせたのだろうか?それとも日本は、安価な労働力にモノを言わせ、先進国の技術の「丸パクリ」で稼ぐだけの国だったのか?

【疑問2】日本はなぜこれほどまでにうまく経済成長できたのか?
 なぜ日本は、最初は弱かったけど修行して強くなって勝ちまくるという少年漫画なみにベタなストーリー展開を実現できたのか?当時の我が国と、未だ先進国への切符を手に入れられない国々との間に決定的な違いがもしあるとしたら、一体それは何だろうか?
 庶民の識字率の高さ?民族的同質性の有無?お上の言うことだから取りあえず従っておけ的な精神構造の有無?それとも、「坂の上の雲」を目指して無私の心で国家に尽くす、清廉で潔白で勇敢で明晰で決断力のあるリーダーに恵まれたから?

 こうしたテーマは、良く言えば意欲的、悪く言えば無謀だった。考えてみれば、上に掲げたクエスチョン・マークのひとつひとつが、それだけで学術論文の主題と成り得るほどのビッグ・イシューである。それらを包括的に追求するというのは、いわば猛泳するジンベイザメの群をイワシ網で一遍に捕獲しようとするに等しい蛮行で、謙遜ではなくリアルに浅学非才な私の手に負える代物ではない。
 ・・・というような意味のことを、表現はもっと婉曲的ではあったが、私は事前に教授から指摘されていた。なのに、私は、突っ走って、結句、自滅した。なぜか。それは私がアホだからだ。謙遜ではなくリアルに。


収支ともに急増する政府予算。戦争が国を豊かにした。正確には、戦争に勝ったことが。(出所:明治以降本邦主要経済統計) 


 以下、リサーチ・ペーパーの要旨に代えて、私の回答案を示したい。

Q.日本は「その時代」にイノベーションを起こしたか?
A.起こさなかった。というより、起こ「せ」なかった。それは当時の日本人が無能だったから、ではもちろんなくて、技術的にも社会制度的にも先進国とのギャップが大きすぎたからだ。
 たとえば、鉄道や電話などの技術は江戸時代にはそもそも存在しなかったし、また鋳造や造船などの技術は存在したもののスケールの差が大きすぎた。それらを短期間でキャッチアップして世界と伍していくためには、イノベーションなどという悠長なことは言っていられなかった。
 日本にとっての産業革命とは、いわば政府の強力な支援によって守破離の「守」に死力を尽くした時期であり、「破」「離」に歩を進められる段階では到底なかったのだ。(結果として「守」の目標は概ね達成できたが、重工業などの産業を薬籠中のものとするにはもう数十年の努力が必要であった)

Q.日本はなぜこれほどまでにうまく経済成長できたのか?
A.身も蓋もない言い方をすれば、運が良かったから。たとえば、西欧から学んだ新技術によってシルクや綿製品の生産量が飛躍的に拡大したのと同じタイミングで、世界各国の需要が高まった。おかげで「製品を輸出して外貨を獲得しまくる」おなじみの勝ちパターンにはまることができた。
 その歴史的背景として、我が国は千年以上前からシルクや綿製品を生産していたというのがあるし、また人口の半分以上を占める農業従事者は昔から相対賃金が低く、がために彼らを長時間労働させるのがきわめて容易であったというのもある。これは、労働賃金の高さゆえに技術代替インセンティブが強く働いたとされる英国の産業革命とは好対照である。
(このあたり、本当は計量経済学で習った回帰モデルを使って各国の比較分析をやりたかったのだが、労働賃金の経年変化などの統計資料がうまく見つからずに断念した)

 読者諸氏の考えは如何だろうか。異論・反論、大歓迎である。一家言のある方は、ぜひ忌憚なきご意見を頂戴したい。

 我々はどこから来たのか?
 我々は何者か?
 我々はどこへ行くのか?

 これは、私が生涯をかけて考えていきたいテーマである。


産業革命時における我が国石炭生産量の経年変化。(出所:日本経済統計総覧)
いまとなっては想像しづらいことだけど、当時の日本は石炭自給率100%で、むしろインドや中国に輸出するほどであった。競合外国炭の輸入もなく(明治末から満州炭との競合関係が生じる)、石炭産業は国内需要の増加に沿うかたちで、また明治政府が打ち出した鉱業権などの新政策に導かれて、純粋培養的な急成長をみせた。「産業革命の必要条件のひとつは比較的廉価な燃料が豊富にあること」という法則は、日本もまた例外ではなかったわけだ。
他方で、石油は国内消費の約7割をアメリカから輸入していた。この脆弱性が、エネルギーの主役が石炭から石油に移ったときにどういう結果をもたらすか。太平洋戦争への伏線は、すでにこの時代にあったのかもしれない。

我が国の石炭、石油価格及び東京卸売物価指数の経年変化。(出所:Institute for Monetary and Economic Studies, Bank of Japan)
石炭と石油の価格上昇率は、他と比べて突出しているわけではないようだ。1バレル100ドル超えの時代が来るなんて、まだ誰も想像していなかった時代。


<国際政策・開発学セミナー(International Policy, Development and Practice Speaker Series)>
 選択科目。週1.5時間。GSPPの学生による企画授業のひとつで、前学期にも同種の科目を取ったが、こちらは途上国開発政策に限定したセミナーである。講演者は、Asia Foundationの会長、Global Fund for Womenの副会長、Human Rights Watchの弁護士など。スタンフォード大学教育学部の教授が紹介した「アフリカの子どもたちに教育用のIT端末を配布する」というプロジェクトは、前述のモザンビーク・プロジェクトに酷似していて、大いに刺激を受けたものだった。
 講演のテーマは実に多彩であったが、その通底に流れるものとして私が胸に刻んだのは、以下の2つである。

 1つ目は、開発分野では非営利団体の役割は特に重要であるという事実。
 大半の途上国政府は機能不全に陥っている。ゆえに、政府経由の資金援助は、汚職大好き&賄賂LOVEなおっさんの懐に吸収されがちだ。
 そんな事態を避けるためには、草の根を探るようにして「現地の人々が真に求めているものは何か」を理解して、政策とかスキームとかいう格好良さげな言葉とは距離をおいた場所で泥のように地道な労力を払わなければ本当の成果は出てこない。そしてこれに最適な公的セクターは何かと問えば、その答えはやはり非営利団体なのである。

 2つ目は、世界は苦しみと喪失に満ちているという基本的な事実。
 スリランカのある女性は、自宅に押し入った暴漢2人からレイプされ、火のついた煙草を性器に押しつけられるなどの暴力行為を受けた。後日、夫が無断で彼女を売春組織に売っていたことが判明した。つまり暴漢は暴漢ではなく「顧客」だったのだ。彼女は二児の母親であるが、事件後にPTSDを発症し、もはや育児を続けることができない。
 ナイジェリアのある男性は、2カ月前に1歳の息子を亡くした。死因は鉛中毒。近隣の鉱山開発の影響で、高濃度の鉛が生活用水に流れ込んでいるためだ。そして皮肉にも、彼自身が鉱山開発会社に雇われた労働者で、他に収入を得る手立てがない。最近の彼は慢性的な頭痛と記憶力の低下に悩まされている。典型的な鉛中毒の症状だ。
 私たちはこうした事実を知って胸を痛める。こんなことは間違っていると思う。可及的速やかに対策を講じるべきと考える。政府は何をやっているんだと憤る。
 しかし通常、私たちは何ら具体的な行動を起こさない。なぜなら、それは私たちの生活に直接影響を及ぼすことではないからだ。私たちにはもっと大事なことがあるからだ。
 それはたとえば、うまい飯を食べてその写真を撮影し、facebookにアップロードして、友達から「いいね!」してもらうことである。あるいは、自分の可愛い子どもの写真を撮影し、facebookにアップロードして、友達から「いいね!」してもらうことである。私たちは忙しく、毎日が充実しているのだ。

 この素晴らしき世界。