2012/12/30

バークレーで買い物や貰い物をしたこと

商品番号1: SilverRestのマットレス(500ドル)
 アメリカで生活を立ち上げるにあたって最初に決意したのは、「寝具にはお金をかけよう」ということである。
 いろいろな選択肢をあたってみたが、最終的に、Amazon.com(米国版アマゾン)で評判の良かったSilverRestのマットレスを購入することにした。単体で500ドル。日本で使っていた残存簿価1円の煎餅布団に比べれば大出世である。寝心地も申し分ない。あまりに心地よくて、ある日などは1日15時間も眠ってしまったくらいだ。私は生後1カ月の赤ちゃんか。

 ところで、Amazon.comの配達人の辞書に不在通知という言葉はないらしく、不在時には玄関前に容赦なく放り出されることになる。このマットレスも、巨大なボンレスハムのような格好で、ある日突然に現れた。炊飯器(象印。153ドル)、浄水器(PUR。32ドル)、ドライヤー(Revlon。15ドル)、浮世絵(葛飾北斎。9ドル)も同様だった。
 盗まれたらどうするんだ?でもいまのところそういうことはない。日本にいた頃、佐川急便の不在通知をカードゲームができるくらい集めてしまった過去を思い返すと、「アメリカ式」の方が合理的な気もしてくる。
 枕と布団とシーツは、UCバークレーの家族寮(UC Village)からバスで40分ほどの距離にあるIKEAにて購入した。値段は忘れたが、合計150ドルでお釣りがくる程度だったと思う。




商品番号2: Cannondaleのクロスバイク(450ドル)
 次に必要なのは、自転車である。渡米直後こそ新品のロードバイクを買おうと意気込んでいたのだが、
 ①バークレーの道路は総じて舗装状態が悪く、通学にロードバイクは不向きであること
 ②自転車泥棒が予想以上に多いこと(この4ヶ月間で6人の友人が盗難に遭った)
の2つの理由から、「中古だけどそれなりに戦えるクロスバイク」という路線に変更し、数週間かけて方々を調べた結果、Craigslist(全米で最も有名なコミュニティ・サイトのひとつ)を通じてオーストリア人の学生から購入した。
 バークレーの中古自転車市場は需給ともに相当な量で、100ドルも出せば然るべき自転車を買うことができる。そういう意味では450ドルはわりに高額なのだが、このBADBOY(2011年モデル)は日本でも人気のクロスバイクで、新品を買えば10万円は下らない。そういうわけで、エイヤっと大枚をはたいて購入した。

 ところが、このBADBOYというブランド名が、奥さんにはすこぶる不評であった。BADなBOYとは何事か。縁起がよろしくないというのだ。そこで彼女は、「するめ → あたりめ」の応用で、「BADBOY=悪男(わるお)→ GOODBOY=良男(よしお)」と勝手に命名してしまった。
 しかし、不承不承ながらも「よしお」と呼びかけ、サドルのあたりを優しく撫でやれば、その姿はどこか黒い仔馬のようでもあり、どことなく愛着も増してくるから不思議なものだ。家族寮からキャンパスまで毎日往復50分、よしおは働き者である。
 写真のヘルメットと鍵は、日本から持参した。
 (2013年2月11日追記: よしおは、今日、盗まれてしまった。合掌。)




商品番号3: 勉強机(15ドル)
 勉強机の選定には時間がかかった。バークレーの家具屋さんをいくつか回ったが、どうにもピンとくるものが見つからない。いや、ピンとくるものはあるのだが、それらはことごとく予算をオーバーしていた、という表現の方が正確か。
 そうして私は、うねうねと決断できぬまま、クロネコヤマトの段ボールに布をかぶせた机(のようなもの)で本を読んだりレポートを書いたりする丁稚奉公のような日々を送っていた。
 すると僥倖は向こうからやってくるもので、家族寮のムービング・セール(バス停や自習室などによくチラシが貼られている)で具合の良さそうな勉強机が見つかった。15ドル。小学三年生くらいの中国人の男の子の「お古」で、何やら判読できない落書きが随所に見受けられたが、それもまたご愛嬌である。




商品番号4: 本棚(0ドル)
 しかし、本棚はまだ見つからない。クロネコヤマトの段ボールに工作を施した本棚(のようなもの)で凌ぐ日々である。正直、もうこれでいいのかもしれない。




商品番号5: BOSEのヘッドホン(300ドル)
 8年前から愛用していたヘッドホン、BOSEのQuietComfort2が、こともあろうに渡米の3日前に故障してしまった。当然修理も間に合わない。別れはいつも突然にやってくる。
 そこで私は、アメリカ到着後にAmazon.comで某社のヘッドホンを購入したのだが、これがなかなかの代物で、「三蔵法師の呪文で頭の輪っかをぐんぐんに締めつけられて悶絶する孫悟空の気持ちを追体験したい人向けのグッズ」という観点からは文句なく★5つなのだが、「音楽を聴くために両耳に装着する機器」という観点からは残念ながら★1つであった。

 やはり浮気はいけない、BOSEに操を捧げるべきなのだ。そう思い直した私は、サンフランシスコのBOSE直営店に足を運び、シリーズ最新機種のQuietComfort15を購入するに至った。300ドル。安い買い物ではないが、音質は抜群に素晴らしい。バークレーを歩いているとしばしば同好の士を見かけることがあり、これもまた嬉しい。
 ちなみに私が最近よく聴いているのは、クラムボン、サケロック、ローラ・ニーロ、ゴリラズ、ビル・エヴァンス、ベートーヴェン(特に後期弦楽四重奏曲)といったあたりである。こうして挙げてみるとほとんど共通点がないというか、まあ我ながら節操のない趣味である。




商品番号6: JBLのiPod用スピーカー(40ドル)
 先程「BOSEに操を捧げる」などと書いておきながら、iPod用スピーカーはJBLの製品(On Stage Micro II Speaker System)を買ってしまった。まあその、ゴホン、あの、ゴホン、いろいろ事情があるというか、その、ゴホン、すみませんでした。
 購入先はAmazon.comで、新品で買うと100ドル強のところ、Refurbishedで40ドルだった。音質も悪くない。そりゃあもちろん、JBLの「本気」のスピーカーには及ばないけれど。
(Refurbished:初期不良品をメーカーが修理し、新古品のような扱いで市場に出される製品のこと)

 写真のiPod touchは、日本から持参したもの。バークレーでは、家族寮とキャンパス全域のほか、市営図書館や喫茶店などでも無料でWifiが提供されているため、事実上、(iPod touchを)維持費ゼロのiPhoneとして使うことができる。肝心の電話機能は、奥さんがどこからか見つけてきた「HanaCell」という在米日本人向けのサービスを使えば、月額9.99ドルである。通信料がこんなに安く済むとは、渡米前には予想だにしなかったことである。




商品番号7: テレビ(80ドル)
 テレビは購入しないつもりだった。というのも、私は長らくテレビジョン受像機なるものを所持しておらず(記憶する限り、最後に見た番組は安達祐実主演の「家なき子2」という体たらくである)、それのある生活にうまく馴染めるかどうか、もうひとつ自信がなかったからである。
 しかしながら、アメリカのテレビは移民や聴覚障害者などのために字幕がつけられるという話で、これを語学学習に活用しない手はなく、家族寮に住む日本人の方から80ドルで購入するに至った。
 然して結果はどうだったか。「この3カ月で累計10時間ほどしか視聴しなかった」という事実を指せば失敗であったし、「大統領選挙をリアルタイムで楽しめた」という事実を指せば成功であった。総合的な判断は、ここでは留保することにしたい。
 テレビ台は、クロネコヤマトの段ボールに布をかぶせたもので代用した。クロネコヤマト、さっきから無双の活躍である。




商品番号8: ソファー(50ドル&100ドル)
 私と奥さんは、アメリカにいる間は「ものは少なく」をポリシーに生活しようと考えていたので、ソファーの必要性を認めることは特になかった。しかし、秋学期の終わりにインド人とチリ人のクラスメートの自宅にそれぞれ招かれた際、その内装の親密さに夫婦ともども心を打たれたことをきっかけに、「せめてソファーくらいは」と、信条の変節というか、考えがくるりと変わってしまった。
 するとまたしても僥倖は向こうからやってくるもので、近隣の日本人が帰国する話が立て続けに2件あり、各々の家庭からソファーを譲っていただいたのが2週間前のことである。
 写真左のフロアランプは、ソファーの持ち主から5ドルで購入した。



 そのほかにも、電子レンジ(15ドル)、コーヒーメーカー(10ドル)、カラープリンター(10ドル)、ジューサー(5ドル)、各種食器(0ドル~3ドル)、掃除機(0ドル)、電気スタンド(0ドル)、丸椅子(0ドル)、クイックルワイパー(0ドル)、トイレクイックル(0ドル)などを、近隣の住人たちから格安あるいは無料で頂戴した。

 この場を借りて、改めて御礼を申し上げたい。といっても日本語の読めない方にはこのメッセージはたぶん届かないんだけど、それでも気持ちとして。


2012/12/25

アダルトスクールの多様性にも感銘を受けたこと

先生 「今日のテーマは、泥棒です」

先生 「グアテマラでは、何がよく盗まれますか?」
グアテマラ人 「バスが盗まれます」
先生 「えっ?」
ブラジル人 「ブラジルでもそうだよ」
カメルーン人 「カメルーンもそうやで」

先生 「イラクでは、何がよく盗まれますか?」
イラク人 「何でも。どこでも盗まれるよ」
パレスチナ人 「パレスチナでは、家が盗まれるわ」

先生 「トルクメニスタンでは、何がよく盗まれますか?」
トルクメニスタン人 「トルクメニスタンには、泥棒はいません」




 先々月から、バークレー・アダルトスクールのESL(English as a Second Language)のクラスに通いはじめた。アダルトスクールは、市民向けの講座を提供する公立学校。「たのしいフラダンス」とか、「すこやか太極拳」とか、「やりなおし基礎数学」とか、「すぐに使える!Adobe Photoshop」とか、「再チャレンジ!スペイン語」とか、まあ講座名はいま私が勝手に意訳したけれど、そんな按配の講座がいろいろあって、そのひとつにESLのクラスがあるというわけだ。

 公立であるため、授業料はとても安い。ESLのクラスなどは、週4回×3時間、1セメスター(約5ヶ月)でたったの45ドルである。移民たちに英語を教えるのは、治安対策や対米感情の向上なども含め、全体的としてアメリカの国益にかなうということなのだろう。

 私の思うところ、アダルトスクールの最大の魅力は、生徒たちの多様性にある。以前、このブログでGSPPの多様性について触れたことがあるけれど、国籍と年齢の面ではアダルトスクールに軍配が上がるのではないか。

 たとえば、私のクラスメートの国籍は、メキシコ、ブラジル、グァテマラ、エルサルバドル、チリ、中国、韓国、モンゴル、インド、パキスタン、トルクメニスタン、アゼルバイジャン、イラク、イエメン、パレスチナ、アルジェリア、カメルーン、ロシア、ポーランド、フランス、ドイツ、イタリア、バスクという幅の広さだ。バスク人に出会ったのは初めてのことで、思わず「トレヴェニアンって知ってる?」と鼻息荒く尋ねたが、答えは「誰それ?」であった。残念。
(トレヴェニアン:アメリカの覆面作家。代表作に日本とバスクを舞台にした小説「シブミ」など)

 年齢は、20代から70代まで、平均して30代後半といったところ。生徒たちは、各々の人生で各々に成功し、また各々に挫折し、妥協し、衝突し、出会い、別れ、そうして何がしかの事情と屈託を抱えてこのクラスに来ている。その琥珀色の味わいは、UCバークレーではなかなか得られない種類のものだ。




先生 「今日のテーマは、男女の賃金格差です」

先生 「あなたの国では、男性と女性のどちらの給料が高いですか?」
生徒A 「男性」
生徒B 「男性」
生徒C 「ほぼ同じ」
生徒D 「ほぼ同じ」

・・・

生徒E 「女性」

先生 「おや、珍しいですね。なぜですか」

生徒E 「戦争があったから。男たちは、みんな、死んでしまったから」

2012/11/30

2012年の秋学期が折り返し地点を過ぎたこと

 予習に、テストに、プレゼンに、グループワークに追われ、回し車を無心に走るハムスターに自らの姿を重ねつつも、陽は昇り、沈み、また昇る。気がつけば秋学期も折り返し地点をとうに過ぎ、履修している授業の全貌がようやく掴めてきた(ような気がする)。
 今回は、これまであまり詳しく触れてこなかった授業の内容について、自身の頭の整理も兼ねて綴ってみることにしたい。


<数学(Math Review)>
 8月上旬の2週間を使って、月曜日から金曜日まで1日3時間のペース(つまり合計3×10=30時間)で経済学や統計学で使う「道具としての数学」のおさらいをする。受講は任意で単位もない。
 内容は、分数(!)、平方根、指数・対数関数から、偏微分方程式やポアソン分布といったあたりまでを扱う。三角関数や積分は出てこない。
 自慢ではないが、私は数学がわりに得意なので(あまりに得意すぎて大学時代に「物理数学1」を3年連続で受けたほどだ)、内容的にそれほど目新しいものはなかった。とはいえ、頭から尻尾まで英語の授業を受けるのは初めての体験であり、自分の英語力(特にリスニング能力)がいかに不足しているかを痛感する絶好の機会となった。
 Larry Rosenthal教授は、スタンダップ・コメディアンを彷彿とさせる「べしゃり」の達人である。出席していた約70人の生徒の顔と名前を、初日の自己紹介だけでほぼ完璧に覚えていたのが印象的だった。この人はきっと政治家に転職してもうまくやっていけるだろう。
 教科書は、市販されていない専用の冊子を使う。あなたがGSPPに入学される方で、これまで数学と懇意にしない人生を送ってきたというのであれば、中学~高校生で習う範囲についてフォローした参考書の類を事前に読んでおくと良いかもしれない。


<ミクロ経済学(The Economics of Public Policy Analysis)>
 必修科目。週5.5時間。「公共セクターで政策分析/立案をする人に必要な知識を授ける」ことを主眼において、ミクロ経済学の基礎かつ応用が講義される。「基礎かつ応用」というのはつまり、経済学の基礎の基礎(例:所得効果と代替効果)から丁寧に教えられるだけではなく、それらを血肉の通ったリアルな政策としていかに応用するかという観点から、色気のある具体例(例:低所得者への補助制度の功罪)が惜しげなく披露される、ということだ。
 経済学のバックグラウンドが無い私にとって、このアプローチは見事にハマった。既知の題材を未知の枠組みにあてはめることで、世界の見え方が変わってくる快感。いまさらながら、学部時代に(物理学ではなく)経済学を専攻しておけばよかったと思う。
 GSPPで最若手の部類に入るであろうDan Acland教授は、見た目こそちょっとオタクっぽいもののイケメンで(あるクラスメートは私の意見を全否定するんだけど)、話もうまく、親切心と情熱を兼ね備え、いかにもシリコンバレーを闊歩していそうなやり手という印象だ。
 教科書は、Lee Friedmanの「The Microeconomics of Public Policy Analysis」とWalter Nicholson & Christopher Snyderの「Microeconomic Theory: Basic Principles and Extensions」で、これらの内容に沿って授業が進められる。週3回のレクチャー、月2回ペースのプロブレム・セット(2~5ページの分量の問題集で、2週間程度で解いてレポートを提出しなければならない)、計3回の中間・期末テストなどを通じて千本ノック的に鍛えられるので、実は教科書がなくてもそれなりにやっていける。クラスメートの中には、一切教科書を買わずにしっかりキャッチ・アップしている猛者もいる。わからないところがあれば教授やGSIに質問すれば良いという、それもひとつの哲学ではある。


<統計学(Quantitative Methods for Public Policy)>
 必修科目。週5.5時間。複数の卒業生は、この授業が(就職してから)最も役に立つ授業であったと言う。その内容は、確率や順列といった初歩的な概念にはじまり、t検定、F検定、カイ二乗検定、そして検定力、効果量、メタ・アナリシスにまで至る。後半には統計ソフトStataも登場する。
 私にとって前半は既知の内容ばかりで、「おお、σくんにΣさん。おひさしぶりっスね。元気でしたか」と旧友に再会したような気持ちでいたのだが、後半からは未知の領域(あるいは忘却の領域)に属する内容が増えてきて、徐々に余裕がなくなってきた。
 Jack Glaser教授は、その容貌も話しぶりもウディ・アレンにどこか似ていて、統計学という笑いの取りにくい分野にもかかわらず、シニカルなギャグを連発して生徒をよく爆笑させる先生だ。でも私にとっては、英語が理解できずに悔しい思いをすることの多い先生でもある。そういえばウディ・アレンの映画も英語が難しいんだよなあ・・・。
 教科書は、Kenneth Meierの「Applied Statistics for Public and Nonprofit Administration」を用いる。しかし私は本書を購入せず(安価な古本が手に入らなかったという情けない理由)、副読本であるRon Larson & Betsy Faberの「Elementary Statistics: Picturing the World」を所持するのみである。でもまあ、週3回のレクチャー、月1回ペースのプロブレム・セットと計3回の中間・期末テスト、4~5人でチームを組んで分析を行うグループ・ワークなどを通じて理解は否応にも深まるので、結果的には教科書がなくても何とかなった。もちろんあるにこしたことはないけれど。
 あなたがGSPPに入学される方で、これまで統計ソフトStataに触ったことがないというのであれば、日本語の解説本を(事前に読む必要はないので)持参しておくと良いかもしれない。私も持ってくれば良かったと思っている。
 (2013年1月26日追記: 冬休み中に日本に帰国した研究者の方にお願いして、松浦寿幸の「Stataによるデータ分析入門」を買ってきていただいた)


<政治学(Political Analysis and Agency Management Aspects Of Public Policy)>
 必修科目。週5時間。前半はゲーム理論(Assurance game, Chicken game, Prisoners' Dilenma)やマックス・ウェーバーの「Class, Status, and Power」をはじめとして、政治学に係る理論が広範に(悪く言えば雑多に)レクチャーされ、ケースを用いたディスカッションやポリシー・メモ(例:テキサス州オースティンにおける化学プラントの建設計画に反対する市民団体。彼らは目標達成に向けてどのような戦略を取るべきか?)を通じて理解を深めるという授業である。
 後半は交渉学にも重点が置かれ、約1カ月をかけて行われる「Budget Project」が授業全体の山場となる。これは、各生徒が与野党議員や報道陣の役を割り当てられ、最終日の模擬国会(例年真夜中まで開催される)で予算案を成立させるためにあの手この手の交渉を繰り広げるという、GSPPの名物プロジェクトである。アメリカ政治に疎い私にも大変に面白く、いろいろと思うところがあったので、これについてはまた別の機会に詳述したい。
 ところで、GSPPの学生はアメリカ政治に対する造詣がもとより深く(政治家志望のクラスメートだっているのだ!)、飲み会などのインフォーマルな場でも突っ込んだ政治の話題でしばしば盛り上がる。そんな彼らに、知識面でも英語力でもアドバンテージを取れないつらさ。大げさな表現を使えば、これは「留学生殺し」の授業である。チリ人のクラスメートはそのあたりを機敏に察知し、他学部の政治学の授業に逃げていた(必修科目ではあるんだけど、そこはアメリカの大学、交渉の余地は大いにある)。
 授業は、安楽椅子探偵のような風貌のJohn Elwood教授と、精力剤のコマーシャルに出演しても違和感のなさそうなHenry Brady学長(いや、失礼なことを言っちゃいけないな。すみません。忘れてください)の両名のリードで進められる。噂によると、John Elwood教授は今年度で引退、来年度からは若手の女性教授の受け持ちとなるらしい。あくまで噂ですが。
 教科書は、Roger Fisherの「Getting to Yes: Negotiating Agreement Without Giving In」、John Kingdonの「Agendas, Alternatives, and Public Policies, Update Edition, With an Epilogue on Health Care」、Thomas E. Mann and Norman J. Ornsteinの「It's Even Worse Than It Looks: How the American Constitutional System Collided With the New Politics of Extremism」、そしてAllen Schickの「The Federal Budget: Politics, Policy, Process」の4冊。これに加えて、合計700ページくらいの関連書籍や論文を読まなくてはならない。うーん、なかなかの「留学生殺し」でしょう?
 でもまあ、実のところ、全部読みきれなくても死ぬことはない。大事なのは、要点を掴むこと、あるいは要点を掴むという名のもとに飛ばし読みをすることである。この授業を受けようとされる方は、アメリカ政治に関する書籍を何冊か読んでおくことをお薦めしたい。実際私は、渡米前に経済学よりも政治学の予習をやっておくべきだったと後悔した。


<リーダーシップ論(Public Leadership and Management)>
 必修科目。週4時間。リーダーシップ論というのは、わりに「言ったもん勝ち」な世界であると私は思っていて、なぜなら絶対の正解がない代わりに絶対の不正解もないからである。人間の数だけ人生観があるのと同じように、そこには無数のリーダーシップ論がある。浜の真砂は尽きるとも、世に自己啓発本の種は尽きまじ。
 その点、GSPPの看板教授であるRobert Reich氏は、この授業を受け持つ上で最適の人物と言えるだろう。元労働長官かつ現ベストセラー作家の語るリーダーシップ論とはいかにも魅力的で、工学部やMBAなどからも履修希望者が相次ぎ、最初の数回は立ち見が出たほどである。
 授業では、ケースや雑誌の記事をもとにしたディスカッションなどを通じて、ライシュ教授独自のリーダーシップ論が展開される。読書家で知られる教授だけあって、リーディングの素材がまず興味深いし(例:南米で放映されたソープオペラは、女性の性意識をどのように変えたか?)、話のうまさも名人芸さながらだ。後半には10人程度のチームを組んで「世の中を良くするための」プロジェクトを立ち上げ、その経過をプレゼンするという構えになっている。
 授業で扱った内容のうちひとつ印象深かったのは、「ストーリー(物語)を語ること」の重要さである。ストーリーは、人の関心を引き付け、記憶に長く留まりやすい。そして優れたリーダーは、ストーリーの力をうまく使う。オバマ大統領しかり、キング牧師しかり。彼らは私的なストーリーを効果的に持ち出すことができたからこそ、人々の行動を喚起することができた(=リーダーシップを発揮できた)という。
 なるほど、と私は思った。確かに、理屈としては正しい言葉をあれこれ並べるよりも、体温のあるストーリーを使った方が相手の心に食い込んで物事がうまく回る場面って、現実の仕事でも結構ある。
 教科書ではないものの、履修前に読むべき課題図書としてAdam Hochschildの「Bury the Chains」が挙げられている。これは、奴隷制度の廃止に歴史的貢献を果たしたイギリスの若者について書かれた、フィクションのような吸引力を持つノンフィクションだ。この本をリーダーシップ論の文脈で推薦してくるあたりに、私はライシュ教授のセンスというか、知識人としての厚みを感じた。


<特別セミナー(Policy in Action Speaker Series)>
 選択科目。週1.5時間。GSPPでは大学院生が授業を企画できるというシステムがあって(面白いですね)、これはそのひとつに位置づけられる。公共政策の各分野で活躍するプロフェッショナルから話を聞くという、あまり肩の凝らないセミナーだ。
 テストも教科書もない1単位の授業なので、その負担の軽さは前述の必修科目とは比べものにならない。でも、サンフランシスコ市の役人が世界でもあまり例のない渋滞税の導入を検討中という話をしたり、ランド研究所(米国最大の政策系シンクタンク)の研究者がマリファナの合法化に関する経済的影響について話をしたりと、面白いネタが全方位的に飛んでくるから油断はできない。

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 いまこうやって振り返ってみて気がついたのは、3か月前にはできなかった(わからなかった)ことが、それなりにできるように(わかるように)なってきているのだな、という手ごたえだ。英語を筆頭に、できないことの方が依然として圧倒的に多い事実については、ひとまず目をつぶっておこう。バークレーの日差しがまぶしいことにして。

2012/10/31

GSPPに来て驚いた2つのこと

<バークレー時間>
 UCバークレー、少なくともこのGSPPでは、8時の授業は8時にはじまらない。8時に教室に着いても、そもそも教授が来ていなかったりする。ここでは、授業でもセミナーでも、およそ10分~15分遅れでスタートするのだ。
 これが、「バークレー時間(Berkeley Time)」である。
 噂によると、あるMBAの教授は「私の授業ではバークレー時間は適用されません!」とシラバスに宣言したという。さすがはMBA。でも結局、自身も含めてそれを遵守できる人があまりに少なかったため、なし崩し的にバークレー時間に戻ってしまったという。悲劇なのか喜劇なのか、解釈に困る話ではある。
 しかしこのバークレー時間、どうして適用されたのだろうか。私の推測は、
 【理由1】キャンパスが広く、移動時間を考慮する必要があるから。
 【理由2】西海岸だから。おひさまが、ぽかぽか、あたたかいから。
の2つである。
 まともに考えると「移動時間」説に理がありそうだが、級友との待ち合わせなどでも「バークレー時間」がもれなく適用されていることを考慮すると、「おひさま」説も捨てがたい。
 結論としては、まあどちらでもよい。

<テストの自由さ>
 「バークレー時間」の適用は、テストといえど例外ではない。8時30分にテスト開始という連絡があっても、実際にはじまるのは8時40分だ。
 飲食物の持ち込みもオッケーである。コーヒー、サンドイッチ、バナナを机上に置き、盤石の構えでテストに臨む輩も少なくない。日本の大学でこれをやったら「モラル崩壊」「大学の幼稚園化」みたいな連想が浮かびがちだけど、バークレーではむしろ、長丁場のテストだと途中で腹も減るだろうし、まあいいんじゃないっスか?というノリである。
 留学生の場合は、電子辞書を持ち込んでも構わない(先生にお願いしたら、あっさり了承された)。これは私にはありがたい。実際、先日の経済学のテストでは「mother formula」の価格弾力性に関する問題が出たのだが、私はこの単語の意味(乳児用調合乳)を知らず、電子辞書がなければ危うく失点するところであった。
 でも実は、電子辞書がなくても大丈夫。試験監督のGSI(Graduate Student Instructorの略。教授のアシスタントを行う大学院生)には、テスト中いつでも質問をしてよいのだ。もちろん「この答えは何ですか」みたいなダイレクトすぎる質問は駄目だろうけど(したことないけど)、「この問題文の意味がわかりません」といった質問は、十分に許容範囲である。試験中に生徒がどんどん席を立ってGSIに質問をする様子は、はじめこそ異様に感じたが、慣れてくると合理的でフェアな仕組みにも思えてくる。なるほど、不明点があればその場で解決すればよいのだ。
 平方根などの計算を必要とする試験では、電卓を持ち込んでも構わない。電卓を持ってない人は、iPhoneを持ち込んでも構わない。えっ?ちょっと待って、それじゃあ簡単にカンニングできちゃうんじゃないの?と思ったあなた。私もそう思いました。でもそのあたりは生徒のモラルに思いきり委ねられている。というか、ここまでオープンだと、逆にカンニングをする気も起こらないのかもしれない。「北風と太陽」でいえば、太陽的アプローチである。
 試験前には、ひょうきん者の生徒が、士気を上げるために(ちょうど小学校の運動会とかでやるように)教室中でウェーブをやったりする。また別のひょうきん者は、バナナのコスプレをして試験を受けたりする。前段の「おひさま」説を支持したくなるゆえんである。私も忍者のコスプレをして、試験中に変わり身の術とかを披露したらウケるかもしれない。あっ、でもそれってただの替え玉受験か。

(2013年5月3日追記: いまのところ替え玉受験はしていないが(当たり前だ)、Grizzly Peakで開催されたトレイルラン・レース(30km)に忍者の格好をして参加した。かなり過酷なレースで、コスプレをしていたのは私だけだったが、応援の子どもたちには大人気だった)
 

2012/10/08

バークレーに来て予想外に嬉しかった2つのこと

<GSPP(公共政策大学院)を知る人が多かったこと>
 公共政策学は、大学の専攻の中でもマイナーな方だと思う。でもここバークレーでは、それなりの知名度を有しているようだ。例えば、1週間ほど間借り(sublet)させてもらった初老の建築家夫妻にしても、私がGSPPの学生と知ると、「公共政策といえばバークレーの目玉学部よね」などと仰せられる。多分にお世辞が入っているんだろうけど、でも嬉しいことは嬉しい。
 GSPPのワークロードの重さも、学内外に知られているようだ。実際、こちらに来てから、「そうか、君はGoldman Schoolの学生なんだ。それは大変だね」といった言葉をかけられることが幾度かあった。そのニュアンスは、「そうか、君は犬のウンコを踏んじゃったんだ。それは大変だね」のそれに近い。

<日本に親しみを感じる人が多かったこと>
 私が日本人と知ると、ほとんどの人は明るい表情を見せてくれる。まあこれは西海岸だからかもしれないけれど、日本に旅行したことのある人も多くて、札幌、京都、大阪、博多、東京なら六本木のバーから葛西の地下鉄博物館(マニアックな!)まで、皆さん実にいろいろ足を運んでいる。またGSPPには、日本語を話せる(非日本人の)学生が、私の知るだけで3人いる。人数比で考えると、これはなかなかのものである。
 「日本はいい国だ」「日本が大好き」「また行きたい」。この好感度の高さを、どう受けとめたらよいのだろう。そう遠くない昔、カリフォルニアで押し潰されるような暮らしを強いられた日系人たちのことを思うと、どこか静かな暗がりに向かってひとり合掌したい気持ちにもなる。
 非効率的なまでに効率的でも、部分最適が全体最適につながらなくても、合理主義のようでいて精神主義であっても、私はやっぱり日本が好きである。おはよう、ごめんね、ありがとう。さよなら、おやすみ、またいつか。


2012/10/02

バークレーの植物園でモダンアートを見たこと

 UCバークレーの裏山にある大学付属の植物園に行ってきた。広大な敷地に世界中の植物が集まっているとの触れ込みに惹かれたから、というのがひとつめの理由。もうひとつは、期間限定の奇妙なモダンアートを展示していると聞いたからである。
 
このアートの最大の特色は、政府から多大なる補助金を受けながらも昨年破綻した太陽電池メーカー、ソリンドラ(Solyndra)社のガラス製品をそのまま使っていることだ。「ビジネスからアートへの意外な転身」という見方もあるし、「オバマ政権への痛烈な批判」という見方もある。地元の新聞などでは、後者の見方がマジョリティを占めているようだ。

 しかしまた、リベラルで鳴らすバークレーがリベラル派の政権を批判してしまうというのは、一体どういうことなのだろう。しかも大統領選の白熱するこの時期に。そういうことは分かっていて、敢えてそうしているのだろうか。リベラルのリベラル。反骨の反骨。
 まあそれは私の考え過ぎかもしれないけれど、バークレーってやっぱり変なところだあ、と改めて感心した次第である。

草木生い茂る中で、いきなりアートに出くわす。(瀬戸内海の)直島に通じるセンスだ













2012/09/25

少人数だけど多様性に満ちたGSPPに感銘を受けたこと

 バークレーに到着して約1カ月半。いま私は、大学寮の勉強部屋で経済学と統計学のレポートと格闘しながら、明日の政治学の授業までに丸一冊を読み終える必要のある(しかしまだ1ページも読めていない)Thomas E. Mann著「It's Even Worse Than It Looks」と、その他にも100ページ近いリーディング課題を抱え、さらに今週末には経済学の中間試験を控えている。
 と、こう書くといかにも大変なようだが、実際これは大変である。ネイティブですらこなしきれない量の課題に押し潰されそうな苦しみと、いっそのことぺしゃんこになってしまえば楽になるんじゃないかという破滅への誘惑とが勢いよく絡み合って、ひとつの巨大な渦を形成し、その濁流に逆らおうとしながら力及ばず、息つぎするだけで精いっぱいの日々である。もちろん自分で選んだ道なので文句を言う筋合いはまるでないし、勉強自体はかなり楽しいのだけれど。

 今回は、UCバークレー公共政策大学院(Goldman School of Public Policy。以下GSPP)で約1カ月半を過ごした学生の視点から、クラスメートについていくつか書いてみようと思う。


<生徒の構成>
・今年入学した生徒は82名。概ね例年どおりの数字という。うち男性は33名、女性は49名。

・平均年齢は27歳。20代が大層を占めるが、30代(私は先日このカテゴリに入った)も40代も50代もいて、教室内でもしっかりプレゼンスを示している。

・留学生は14名。中国、日本、韓国、タイ、インド、パキスタン、カナダ、ブラジル、チリ、メキシコという顔ぶれだ。とはいえ、英語が不得手な留学生は、日本人(私のことだ)と韓国人くらいである。その他の方々は、発音に少し(かなり?)癖があっても、ネイティブと十分わたりあえる英語力を持っているようにお見受けする。私としては、正直、とても、寂しい。

・留学生以外の68名はすべてアメリカ人ということになる。でもご案内のとおり、アメリカ人というカテゴリ自体がとても広い。白人と黒人が一緒にいることを俗に「コーヒー&ミルク」などと言ったりするけれども、ここではコーヒーとミルクに加えて、シナモン、チョコレート、はちみつ、ざらめ、さとうきび、コニャック、ほうじ茶あたりが入ってきている。まあそんな飲み物は世の中にはないけれど。

(2013年4月27日追記: GSPPのパンフレットによれば、2012年度の志願者数は741名、合格者の平均勤務年数は4.0年、GPAの平均は3.67、GREの平均点はそれぞれVerbal:620(新テストでは161)、Quantitative:720(新テストでは158)、Analytical Writing:4.5、そして留学生のTOEFL iBTの平均点は103点とのこと)


<生徒の背景>
・undergraduateの出身校は、UCバークレー、ハーバード大学、スタンフォード大学といった名門校も目立つけど、ご安心あれ(?)、そうではない大学(例:私の出身大学)の方が数としてはよほど多い。単純に学歴という物差しだけで選考をしていないことが伺える。

・大学の専攻もまた多彩である。経済学、政治学、法律学、社会学、国際関係学、公衆衛生学、数学、物理学(私のほかにもう一人いた)、化学、生物学、海洋学、天文学、文学、哲学、人類学、心理学、中南米学、芸術史、リストはまだまだ続く。よくぞここまで揃ったなあ、という奇妙な感動すらある。

・公共政策学というからには役人がマジョリティを占めるのかと思いきや、全然そんなことはなかった。教師、軍人、警官、研究者、新聞記者、議員秘書、弁護士、銀行員から、NPO、NGO、エコノミスト、コンサルタント、シンクタンク、セラピストまで、これまた多彩である。日本の大学で、これだけ多岐にわたる職業経験を持った生徒を集める学部ってあるだろうか。あるいは私が知らないだけかもしれないが、ちょっと想像がつかない。


いちばん大きい教室でも、せいぜい80名程度のキャパシティだ(出所:GSPP) 

<生徒の特長>
・パンフレットの類でもよく言及されるのが、少人数ゆえの緊密なコミュニティである。競争よりも協創、というと何だか中学校の教室とかに貼られたきり風化した校訓のようだけど、私の偽らざる印象としては、確かにそのとおりであった。この雰囲気に惹かれて、HKS(ハーバード・ケネディスクール)を蹴ってGSPPに来たという同級生もいる。

・よく遊び、よく学ぶ。これまた中学校の教室的なフレーズだけど、飲み会、バーベキュー、ライブ観賞、ハイキング、カリフォルニアツアー、ワインツアー、共和党演説のテレビ観賞パーティー(公共政策専攻だけあって政治好きがとても多い)と、ありとあらゆる生徒発案のイベントが企画される。

・自主的な勉強会もしばしば開催される。例えば今年のGSPPのオリエンテーションでは、Medicaid(アメリカの公的医療保険制度。その適用範囲の拡大の是非が、今回の大統領選の争点のひとつになっている)をめぐる全員参加型のディベートがあったのだが、この前日(日曜日)、前職が自治体でのMedicaid関連業務だったという生徒が自主的に講演をしてくれた。この奉仕の精神、大いに感じ入るところがあった。まあ私は前述のハイキングに行っていたので遅刻しちゃったんだけど。


 他にも書きたいことはあるけれど、そろそろまた濁流に飛び込まなくてはならないので、今回はここで筆を置く(キーボードから手を離す)。それでは、また。


学校の裏山からの風景

2012/09/04

奥さんがブログをはじめたこと

わたし:I live with my wife.
級友:What does she do?
わたし:Taking care of me.
級友:Ha-ha, that's a full-time job!

そんな奥さんが、「副業として」ブログをはじめたという。
よかったら見てやってください。

Chai's life in Berkeley
http://chi-chai-berkeley.blogspot.com/

2012/08/13

ブログの題名を変更したこと

 ブログの題名を、「アメリカの大学院で公共政策を学ぶまで」から「バークレーと私」に変更した。お気づきの方もいらっしゃるかもしれないが、これは「アメリカと私」からのいただきだ。
 「アメリカと私」は、文芸批評家の江藤淳が1962年にプリンストン大学に留学した日々を綴ったエッセイである。往時の時事的要素を多分に扱いながら、自意識の葛藤から日米関係のあり方に至るまで、その深い洞察は半世紀を経たいまも古びない。

 奇遇にも、江藤さんと私は「29歳から2年間、妻あり子なしの身分でアメリカに留学する」という共通項を持っている。もちろん、50年前といまとでは留学という言葉の重みがずいぶん違うだろうし、UCバークレーとプリンストンの雰囲気にも相当な開きがあるだろう(プリンストンに行ったことはないが、村上春樹の「やがて哀しき外国語」を読んだ経験から、何となく想像はつく)。言うまでもなく、頭のキレという点でも埋めがたい彼我の差がある。
 しかし、私は私なりに、バークレーという、このちょっと(かなり?)変わったアメリカの地方都市に住み、慣れない英語に四苦八苦しながら、考えたことを少しずつでも発信していきたいと思う。改めて、どうぞよろしくお願いします。

バークレーに着いて1週間が経ったこと

 バークレーに到着して1週間。いま私は、サン・パブロ通り沿いの「カフェ・レイラ」にて、2ドル75セントのマキアートを飲みながら、ロバート・ライシュ教授(元労働長官、現UCバークレー公共政策大学院教授)の授業「Public Leadership & Management」の課題図書となっているAdam Hochschild著「Bury the Chains」を読んでいるところだ。

 と、こう書くといかにもバークレー生活に順応しているようだが、実際にはクラスメートの英語がほとんど聞き取れずに冷や汗をかいたり、海外送金がうまくゆかず期日内に学費が払えそうもない状況に頭がくらくらしたりと、洗練とはほど遠い日々を送っている。それどころか、大学寮の手続きにも不備があったため、約2週間は安宿から安宿へと移動するよるべない生活を強いられているのが実情だ。

 しかし、毎日15キロくらいの距離を西に東に歩き回るという健康だか不健康だかよくわからない日々を過ごしていると、わずか1週間とはいえ「路上観察者」の視点からバークレーのいろいろな面が見えてくる。そこで今回は、多分に誤解を含んだ私なりの第一印象として、気づいたことをいくつか書いてみたい。




<外食>
 バークレーには実にたくさんのレストランやカフェがあって、少なからぬ店がOrganic、Vegirtarian、あるいはVegan(動物性の食材を一切使わない完全菜食主義)といった言葉をメニューに添えている。なかには「これって本当にベジタリアンか?」と首を傾げたくなるような料理もあるけれど、まあそこは拡大解釈をするとして、総じて自然食が多いのは確かである。これはたぶん、バークレーがヒッピー文化発祥の地であることとも関係があるのだろう(そういえば「孤独のグルメ」という漫画でもそんな話があった)。道端の落書きには、「Vegan or Die」などという、冗談だか本気だかよくわからないのもある。Vegan or Die?

 物価は、現下の円高(2012年8月現在、1ドル=約80円)を差し引いて考えても、それほど高くはない。朝食やランチなら、お店を選べば10ドル前後で満腹になる。コーヒーも一杯2~5ドル程度だ。紅茶も、烏龍茶も、ジャスミン茶も、チャイも、抹茶ラテも売っている。
 いわゆるアメリカ料理(油まみれのポテト、大皿を占拠する肉塊、日本では見たこともない色の炭酸飲料!)のお店もあるけれど、エスニック料理の店もそれ以上に多い。イタリア料理、中華料理、日本料理、韓国料理、タイ料理、ベトナム料理、インド&パキスタン料理、ヒマラヤ料理、メキシコ料理と、数え上げたらきりがない。さすがは人種のちゃんぽん(勝手に命名)・バークレーである。




<食材>
 バークレーには大型のスーパーがいくつもある。洗剤のような容器に詰まった1ガロンの牛乳や青緑色のケーキ(!)を目にしてため息が出ることもあるけれど、自然食嗜好のスーパーも少なからず存在する。

 たとえば、「TRADER JOE'S」というスーパーには、全体にオーガニックな食材が揃っていて、醤油や豆腐や玄米も売られている。これは日本人にはありがたい。そのおかげで、私は到着直後に泊まった「DownTown Berkeley YMCA」の共用キッチンにて、豆腐とブロッコリーの醤油味パスタなる即席料理をこしらえることができた。(ちなみにそのとき一緒にキッチンにいた中国人(高校生くらい)が、おそらく人生初の「鮭のフライ」に挑戦していて、私たち夫婦に調理法を尋ねながら最後には完成し、ひと切れ分けてくれた。それはとても美味しく、彼女の逞しさには見習うべきものがあった。出てきたのは「鮭のソテー」だったけど。)

 バークレーはまた、市井の人々が活発に行動する街でもある。有名な「ファーマーズ・マーケット」はもとより、各人が畑で取れた野菜などを物々交換するイベント「Crop Swap」は、オーガニックの極北というか、貨幣経済からの脱却というか、とても自由でバークレーらしい活動である。大学寮に住む希望者には畑が割り当てられるという噂も聞くので、余裕があれば私も参加してみたいものである。




<自転車>
 バークレーは自転車好きには最高の環境だ。Cannondale、SCOTT、GIANTなど、日本でも人気のブランドがバークレーでも元気に走っている。日本が誇るFUJIもあって、私は大いに愛国心をくすぐられた。

 大学の周辺に自転車屋さんはいくつもあるし、東京では未だ論争の種となっている自転車優先道路も、ここではしっかりと整備されている。ベイエリアの縦横を走る地下鉄(BART)には、輪行袋なしで自転車を持ち込むことだってできる(そのせいか、小径車や折り畳み自転車の類はあまり見かけなかった)。

 面白いことに、日本ではマイナーなリカンベント(仰向けに近い姿勢で漕ぐ自転車)やタンデム自転車(2人乗りの自転車)もしばしば見かける。サドルの高さが2階建てバスくらいある異様な自転車がUCバークレーのロースクール前を悠々と走るのを目撃したこともある。すごく自由で、すごく楽しそうだ。

 私はまだ住居が定まらないため、自転車の購入には至っていないが、遠からず何がしか自転車を購入しようと目論んでいる(日本からの船便にわざわざ自転車用の鍵とヘルメットを入れたくらいだ)。しかし悩ましいのは、自転車大国であるバークレーが、同時に自転車「泥棒」大国でもあることだ。ぴかぴかのロードバイクを買うべきか、それともリサイクルショップで廉価の自転車を買うべきか。贅沢な悩みではあるけれど。




<欠点>
 どの街にも優れた点と、そうでない点がある。バークレーも例外ではない。まずひとつに、「バスが時間通りに来ない」というのがある。公共交通機関であるバスが、10分遅れ、20分遅れなどというのはざらにある(おかげで私は授業にいきなり遅刻した)。さらに言うと、運賃を支払う際にお釣りが出ないし、運転手は次の停車駅を告げない。停まるべきところで停まらず、停まる必要のないところで停まる。しかし乗客たちは、特にそのことを不満に思う様子もない。諦念の境地に達しているのかもしれない。なるほど、ここは自由の国なのだ。

 大通りの空気も、あまりよくない。数年前に訪れた北京ほどではないが、UCバークレーから湾岸にかけて伸びる「University Ave.」を10分くらい歩いただけで、目鼻にぐんぐん悪い刺激が集まってくる。環境意識の高いバークレー市がこうした状況を放置するわけはない(と思いたい)けど、良くも悪くも車社会のアメリカにおいて、行政の取組がめざましい成果を生むのかどうかはわからない。




 あまりネガティブなことばかり書きたくないが、もうひとつだけ欠点を挙げるなら、それは治安の不均一性ともいうべきものだ。バークレーは全体として治安の良いところだと言われるし、私もそう思う。しかし、どこから撮っても絵葉書になりそうな瀟洒な住宅街から数ブロック歩くと途端に街路の陰影が濃くなる、ということはしばしばある。そこには公的な地図に記されることのない、目に見えない「仕切り」のようなものがあって、それはたぶん地元住民であれば誰でも知っていることなのだろう。

 そうした「陰影の濃い」地域には、街ゆく人々から金銭を貰いうけるための容器(それは帽子だったり、ギターケースだったり、スターバックスのカップだったりする)を携えて道端に座る人が見られる。彼らの中には、自由意思に基づいてそうした道を選んだような人もいるが、一見してそうではない人もいる。そうではない人は、概ね共通して、眼底が暗く澱み、赤黒く日焼けし、垢と屈託に塗れた無表情の表情をしている。そのうちの一人は、今日、私に「Hello Sir..」と話かけ近づいてきたが、私は片手を上げてそのまま通り過ぎた。1ドル札でも渡しておけばよかったのかもしれないが、私はそうしなかった。

 いまこの原稿を書きながら思うのは、公共政策大学院に通って、神妙な顔つきで経済学や政治学を勉強して、それでこの宿なき人の生活がどう変わるのだろうか、ということである。そんなことでいちいち立ち止まっている暇があったらもっと英語の勉強をしろよな、という話なんだけど、しかし世の中を良くするためにバークレーに来ているという大義(のようなもの)は、なるべく見失わずにいようと思う。

 最後に妙な脱線をしてしまった。今回はここまで。



(2013年3月17日追記: これらの印象が大きく変わったわけではないが、下記2点について補足したい。
①渋滞した大通りの空気が悪いのは相変わらずだけど、それ以外の場所は全体に良い環境で、むしろ東京より空気がおいしいんじゃないかと思ったこと。
②ホームレスは確かに多いけど、ホームレス支援の取り組みもまた多いということ。今年1月に「Larkin Street」というNPOにボランティアで参加した際、その豊かな人的/物的リソースに驚かされた)

(2014年4月2日追記: バークレーでの生活に興味のある読者は、「UC Villageの住人に10の質問をしたこと」も併せてご参照ありたい)

2012/08/02

人生は手持ちのカードで戦っていくしかないのだ、と気づいたこと(米国大学院の出願プロセスについて)

TOEFL iBTの勉強法、というか心構えのようなものについては、このブログで以前に記したことがある。しかし、そのほかの重要な事項、例えばエッセイの書き方などについては、これまで触れる機会がなかった。
 そこで今回は、主としてこれから大学院留学を目指す方を読者に想定し(私の愚行を笑いたいだけという読者も一応歓迎する)、私が米国大学院の出願プロセスを通じて得られた知見を伝えることにしたい。

1.総論 (どういう人が強いのか)
 米国大学院の出願プロセスは(特に公共政策学やMBAのようなプロフェッショナル・スクールにおいては)、いわゆる「お受験」ではなく、むしろ「就職活動」に近い面がある。そこであなたを待ちうけるものは、筆記試験の点数順といった画一的・定量的な評価ではなく、履歴書やエッセイやインタビューを通じた総合的・定性的な評価だ。乱暴に表現してしまうと、「あなたを入学させるメリット」を大学当局が認めればあなたは合格するし、そうでなければあなたは合格しない。そういう世界なのである。

 例えば、あなたがとある公共政策系大学院の入学審査課に所属しているとして、こんなバックグラウンドを持つ志望者が来たとしたらどうだろう。

 スラム街に生まれ、6歳の頃からゴミ拾いを生業としていたが、商才あってゴミ拾いビジネスのフランチャイズ化に成功、弱冠12歳にして年収25万ドルを稼ぐに至る。富裕層との人脈を広げていくうち、読み書きすらできない自らの無学を痛感、一念発起して13歳から猛勉強をはじめ、18歳でハーバード大学に合格。19歳で在学中にペットボトルを再資源化するNPO法人を立ち上げ、22歳で環境保全活動の一環としてカリブ海の島を2つ購入した。

 なかなか強力な個性と才気に富んだ人物である。すでに環境分野で実務家としてのキャリアを相当に積んでおられるし、クラスのディスカッションでも大いに貢献してくれそうだ。卒業後にはひとかどの人物となって、大学の名声をうんと高めてくれるかもしれない(うんと寄付をしてくれるかもしれない)。
 と、あまり決めつけるようなことはよくないけれど、私がもし担当者だったら、彼にはぜひとも入学許可を出したいところだ。

 それでは、この人の場合はどうだろう。

 伝統的な猿回し師の家に生まれ、8歳の頃からプロの猿回し師として活動を開始、13歳には第89回世界猿回し選手権・ジュニアの部において新人賞&協会特別賞のダブル受賞の栄光に輝くも、当時のパートナーであったシコルスキー君(雄猿・4歳)を肺炎で死なせてしまったことへの責任を取り、周囲から惜しまれつつも引退を決意、世界放浪の旅に出る。16歳の時分、113カ国目に訪れたコンゴ民主共和国において、同国に生息するボノボ(チンパンジーの仲間)が自分に異常なほど好意を寄せることに気づいたことから、現地住民の了解を得てボノボたちとの共同生活を開始。20歳にして、小学校中退の学歴ながらボノボの言語学習プロセスに関する仮説をフランスの学術誌に投稿、世界的センセーションを巻き起こす。

 ぐっとくる人生だ。新橋あたりの飲み屋で芋焼酎なんかを傾けながら、この人の来し方行く末について、じっくり話を聞いてみたい気がする。
 しかしながら、この人、考えてみると公共政策にあまり関係がない。動物学ならいざしらず、「なぜ公共政策学を志すのか」という観点において、この人のバックグラウンドから強いエッセイを作るには、然るべき推敲が必要とされるだろう。
 「就職活動」に近い面がある、というのは、つまりはそういうことである。


2.各論 (どうすれば強く見せられるのか)
 出願に必要な書類は大学によって異なるが、概ね共通するものは、「大学の成績証明書」「TOEFLのスコア」「GREのスコア」「履歴書」「エッセイ」「推薦状」である。
ここでは、私の個人的な体験を交えつつ、それぞれの項目について概説したい。

<大学の成績証明書>
 日本では、学歴といえば「どの大学を卒業したか」の意味にほぼ等しい。他方、アメリカでは、むしろ「その大学でどんな成績を収めたか」が重要視される。ほとんどの場合、受験者はGPA(Grade Point Averageの略。Aを4点、Bを3点・・・と換算して、4点満点で平均値を取る)を自己申告することになっていて、併せて提出する成績証明書はその証拠という位置づけにある。
 ハーバード大学やUCバークレーのようなトップスクールにおいては、一流大学出身でGPAが4.0(つまりオールA)という受験者も珍しくない。彼らにとって、それはゴールではなく、スタートなのである。
 それでは、私の場合はどうだろう。ごく控えめに表現して「決して一流とはいえない私立大学」に所属し、在学中には「学年で取得単位の最も少ない学生」として学部長に注意され、案の定単位不足で留年し、必修科目はC(可)やD(不可)ばかりという、まさにカフカ(可・不可)の小説のように出口のない状況であった。
 正直なところ、大学から英文の成績書を取り寄せるという事務的な作業すら、その心理的抵抗には大なるものがあった。「大学の成績」という言葉を思い浮かべただけで、私の下腹部には鈍い痛みが走った。私はゼッケンを持たないマラソンランナーのようなもので、スタートラインに並ぶ資格すらないんじゃないか、との疑念を振り払うのに苦労した。できることなら、自分のダメぶりが白日の下に晒されるタイミングを少しでも先送りにしていたかった。
 しかし、ある時点から思い直したのは、私は私の過去(過ち、と読み替えてもよい)からはどこまでいっても逃げられない、ということである。私のGPAがなぜこんなに低いかといえば、ひとえに私がアホだったからである。それは私の人生における回避不能な事実であって、いま何をしたからといって私の過去(恥、と読み替えてもよい)が塗り替えられるわけもない。そうであれば、もはや改善の余地なきGPAについてあれこれ呻吟するよりも、これから質を高められる(かもしれない)エッセイに集中すべきではないか。その方がよほど生産的で、救いのある道ではないか。そう気づいたのである。
 詰まるところ人生とは、手持ちのカードで戦っていくしかないゲームなのだ。

<TOEFLとGREのスコア>
 当たり前のことだが、TOEFLやGREのスコアは高ければ高いほど良い。巷には、(日本人が英語の苦手な民族であることは米国の大学関係者に広く知られているため、)TOEFL iBTは基準点に満たなくても何とかなるとか、留学生はGREのスコアは関係ないとかいう噂が流布していて、そうした仮説を裏付ける事例を私は知らないわけではない。しかしながら、これは着実にハイスコアを叩き出した人に有利に進むゲームである。藁を掴んで溺死を免れた例があったとしても、最初から溺れない方がずっといい。
 私は、約200万円と約1,000時間を投資して、合格者の得点分布の最低点にほぼ等しいスコアを獲得した。こんなに費用がかかっているのは複数の予備校に通ったから(焦りの表れ)だが、後から振り返ると無駄打ちが多かったように思う。公式問題集に加えてDeltaなどの定評ある参考書を繰り返し解き、予備校は「Web TOEFL」のオンライン講座のみ受講し、お金に頼らない健全なモチベーション維持ができていたら、あるいは10分の1以下の値段で必要スコアに達していたかもしれない。まあ、それはどこまでいっても仮定法過去完了の話ではあるけれど。

<履歴書>
 日本で履歴書というと、コンビニエンスストアや文具店などで売られているアレを思い浮かべる方も少なくないだろう。しかし、ここでいう履歴書の概念は少し違う。もっとフリーな形式で、「あなたはこれまでに何をしてきましたか」の問いに対する答えを綴る、1~2ページ程度の箇条書きエッセイ、と捉えるとわかりやすいかもしれない。つまりあなたは、自身が売り込みたい要素(とそうでない要素)について、ある程度の取捨選択が可能である。
 私の場合、「学歴」や「成績」はアピール・ポイントにはなりえなかった。もちろん大学名や専攻、入学/卒業年は事実として記載したが、それ以上の内容には、慎重なガゼルがライオンの群れに近づかないように、決して踏み込まなかった。大学院によっては、公共政策に関連する授業(経済学、法律学、数学、統計学、プログラミングなど)の履修の有無及びその成績を開示する必要があったが、これは私にはシビアな要求だった。(しかし、仮にあなたが、東京大学をGPA4.0で卒業し、執筆した論文で学会賞を受賞し、ゼミの教授と共著で書籍を出版し、在学中に国際機関にインターンをして活躍したのであれば、それらの事実を、静かな誇りとともに履歴書に記載すべきである。それはあなたの努力の成果であって、誰にも奪われることはないのだから。)
 「学歴」「成績」方面の記述を最小限に抑えた代わりに、私は「職歴」で勝負した。運が良かったと言うべきだろう、私はこれまで、「世界初」の修飾語を冠するいくつかのプロジェクトに携わってきた。スマートでなくとも、泥臭くとも、それらは確かに「私の仕事」であって、私が大学当局にアピールできる(ほとんど唯一の)事柄であった。私はそれらのプロジェクトについて、なるたけ固有名詞を用い、任期中に達成した成果に焦点を当てて記述した。
 その他の項目については、「その情報を大学当局が知ることでプラスになるか否か」を自問して、その答えがYESであるなら追記すればよいと思う。私は、「受賞歴」「出版歴」(主に仕事絡み)のほか、「ボランティア活動」「趣味」といった項目も追記した。例えば、
 ・大学時代に落語研究会の会長を務め、神社や公民館などを会場として公演活動を行った
 ・「オデュッセイア」「源氏物語」などの古典文学を読む「カラマーゾフの兄弟研究会」を主催し、7年前から現在に至るまで活動を続けた
 といった内容は、公共政策との関連性がほとんど認められないことは自覚しつつも、「この日本人は一風変わつた奴だな。頭は少しく弱さうだけれど、面白さうだから入れてやり給へ。」という酔狂な審査官がいる可能性に賭けた。その判断が吉と出たか凶と出たかはよくわからないけれど。

<エッセイ>
 エッセイのテーマは、「なぜ公共政策学か」「なぜこの大学か」を問うもの(Statement of Purposeと呼ばれる)が一般的だが、これに加えて、「直近の3年間で世界に最も影響を与えた出来事は何か。あなたの考えを述べよ」「100万ドルの資本金で新組織を立ち上げるとしたら、あなたは何をするか」などのユニークなお題が与えられることもある。あるいは、「ポリシー・メモ」という形式で、政策分析などの小論文が課せられることもある。こうしたテーマは大学によって、また入学年度によって異なるので、志望校のホームページをこまめにチェックしておくことが肝要である。
 世の中とは便利なもので、こうしたエッセイ作成を支援するための予備校などというのもあるのだが、私は利用しなかった。予備校で教わるであろう「型」のようなものに下手に染まってしまうと、逆にオリジナリティを減じてしまうと考えたからだ。まあ単純にTOEFLの準備にお金を使いすぎて、可処分所得が実質的に底をついたという事情もあった(こちらの要因の方が大きいかもしれない)。
 そのぶん、推敲にはかなり時間をかけた。2011年の8月から翌年の1月まで、合計200時間ほどだろうか。私の場合、まずエッセイのネタ出しノートを用意して、どこへ行くにも持ち歩くことからはじめた。全体の構成案や、使えそうなエピソードなど、思いついたら何でもせこせこと書き込んでいく。最初は英語で書いていたが、すぐに非効率的であることに気づき、日本語に切り替えた。
 そうやって地道なネタ出し作業を1カ月くらい続けていると、「第一稿」とでも言うべきものができてくる。断片的なアイデアが有機的なつながりを見せ、エッセイの文脈が輪郭を帯びてくる。そうしたら今度は、原稿をパソコンに打ち込み、印刷し、ひと晩ほど寝かせ、主観からできるだけ離れた状態で読んでみる。するとまた手を加えるべき箇所が見つかってくるもので、原稿をまた修正し、また印刷し、また寝かせて、また修正する。そんな地道な作業をひたすら繰り返した。
 「第十稿」くらいにまで辿り着いたあたりで、私は自分の奥さん、上司、留学中の先輩、英会話の先生といった向きに原稿を渡し、忌憚なき意見を求めた。参考になる意見があれば、もちろん原稿に反映する。そうやって時間をかけてぎりぎりと詰めていくと、自分でもそれなりに納得のいくエッセイができてくるものだ。これが私のやり方だった。
 このようなプロセスを通じて、私がひとつ心がけた、というか目指したのは、エッセイ(特にStatement of Purpose)のすべてのパラグラフが、世界中で私にしか書けない内容であることだ。
 例えば、私は大学時代に環境に関する研究をしていたことがあるので、これが公共政策(環境政策)に興味を持つきっかけになった、と書けるかもしれない。でも、「大学で環境をやっていたので環境政策に興味を持った」人というのは、世界に何万人、あるいは何十万人といるに違いない。これではオリジナリティは希薄だし、競争力のあるエッセイにはなりえない。
 これに対し、例えば「研究の一環で南極に短期滞在した際に、目の前で氷山が崩れ落ち、巨氷に押し潰されたペンギンの子どもが穏やかな死に顔で南極海に浮かんでいるのを目撃して、私は生まれて初めて地球温暖化の深刻さを腹の底から認識した。そして、自分の残りの人生を、研究者としてではなく、将来の温暖化を食い止めうる公共セクターの一員として捧げるべきなのだと確信した」という記述を交えたらどうだろう。まあこれは架空のエピソードであって、ペンギンの子どもは実際には死んでいないので安心して欲しいのだけど、これと同じ経験をした人は恐らくほとんどいないだろう。審査官の目に留まる可能性も、そのぶん高まるに違いない。
 エッセイを練り上げるというのは、すなわち、これまでの人生であなたが手にしたカードのうち、最善のものを最善の組み合わせで使うにはどうすればよいか、その戦略をひたすら考え抜く過程にほかならない。少なくとも私の理解はそうである。

<推薦状>
 推薦状とは、その名のとおり、「彼/彼女はきわめて立派な人物であり、貴校への入学を推薦したい」というお墨つきをもらうためのレターである。公共政策系の大学院の場合、大学の関係者(ゼミの教授など)から1通、仕事の関係者(職場の上司など)から2通、あわせて3通というのが一般的で、私もそのパターンであった。
 私が執筆依頼をした職場の上司2名は、社交辞令抜きで本当にお世話になった方だった。ともに留学経験を有し、出願プロセスにおける「推薦状」の位置づけをよく理解され、私がこれまでに関わったプロジェクトについて(すなわち私が履歴書やエッセイで最もアピールしたい部分について)、色鮮やかなエピソードを添えていただいた。ありがたいことである。
 大学の先生とは長らく没交渉にしており、私のことなど忘れていたかと思いきや、日本酒を持参して無沙汰を詫びつつ伺うと、「研究室の中で異彩を放っていたのでよく覚えている」と解釈に困るコメントを頂戴し、ふたつ返事で引き受けてくださった。これまた、ありがたいことである。しかし、これは後で分かったことだが、あと数週間お願いをするのが遅れていたら、先生は太平洋航海の旅に出ていたところだった。いやはや、相談は早めにしておくものである。

 以上、長々と記述を連ねたが、こうすればうまくいくなどと主張するつもりはないし、私にはその資格もない(出願したすべての大学に合格しているわけではないのだから)。むしろ、ビジネススクールで扱うようなケースのひとつとして、あなたが参考になると思ったところを参考にしていただけたらそれでよい。私にとって最上なのは、総じて孤独な戦いである大学院出願プロセスに苦しんでいるあなたが、この文章から何がしかの「救い」を見出してくれることである。

 最後に、参考リンクと書籍をひとつずつ紹介したい。

http://gakuiryugaku.net/newsletter_content/2011-11.pdf
 米国大学院学生会のニューズレター「かけはし」第7号から、MITで航空宇宙工学を専攻されている小野雅裕さんの筆による「僕のStatement of Purpose論」(6-7ページ)。エッセイ執筆に関して、現在インターネットで無料で入手できる最良の日本語情報はこれだと思う。惜しむらくは、私がこの滋養溢れる記事を発見したのが全出願プロセス終了後であったということだ。

Donald Asher 「Graduate Admissions Essays: Write Your Way into the Graduate School of Your Choice」
 エッセイの書き方に関する書籍は日本語でも多く出版されており、私もいろいろと購入した。しかし、結果的にいちばん役に立ったのは本書であった。Amazonでも2,000円出せばおつりが来るくらいの値段で買えるので、英語の勉強も兼ねてご一読を薦めたい。

2012/07/30

「ローマ法王に米を食べさせた男」を読んだこと

高野誠鮮「ローマ法王に米を食べさせた男」は、石川県羽咋市役所に勤める一介の職員でありながら、その異能ぶりによってスーパー公務員として世に知られる著者による、痛快無比な仕事本である。

本書を読むと、高野さんがプランナーとして、プロデューサーとして、ファシリテーターとして、ネゴシエーターとして、いかに抜群のセンスを持っているかがよくわかる。個人的には、2012年「読んでいて体の芯が熱くなった本」部門、ベストワンだ。

次から次に面白いエピソードが繰り出される本書を要約するのは簡単ではないけれど、以下に箇条書きを試みる。

・NASAから本物のロケットを1000万円で買いつけたり、月の石を100年無料で借りるなど、宇宙科学博物館の立ち上げに向けて奔走するも、上司の嫉妬を買い、「クズ職員が行く」とされる農林水産課に左遷。

・神子原地区は65歳以上が人口の半数を超える「限界集落」で、平均所得はわずか87万円。高野さんのミッションは、60万円の予算(!)で、この地区を活性化させること。

・1年で成果を出すために、「会議はやらない」「稟議書は出さない」「決裁書は作らない」「上司には事後報告」という、「後出しじゃんけん法」を市長に提案。了承させる。

・都市住民に「棚田オーナー」になってもらい(米40kgで3万円)、田植えや刈り取りの作業をしてもらう制度を構築。CIAの「ロバートソン査問会」レポートの戦略に基づき、イギリスの領事館員に第1号オーナーになってもらうことで、内外のマスコミにアピール。

・都会の若者を農家に招いて農業体験をしてもらう制度を提案するも、県庁から旅館業法にひっかかるとクレームがつく。そこで、日本古来の伝統文化である「鳥帽子(よぼし)親」のアイデアを活用し、(仮とはいえ親子関係であり)商売ではないため法律違反にはならない、というアクロバティックな主張で許可を得る。

・神子原のコシヒカリをブランド化するため、天皇皇后両陛下への献上を試みるも、宮内庁に断られる。そこで今度は、(神子原を直訳すると「the highlands where the son of God dwells=イエス・キリストの住まう高原」ということで)ローマ法王ベネディクト16世に手紙を書く。ローマ法王がお米を食べるかどうかは知らないけれど。

・数ヵ月後、ローマ法王庁から連絡あり。市長には事後報告して、とりあえず大使館に同行してもらい、最終的に献上米の許可を得る。その2日後から、神子原米の売り上げが爆発的に伸びる。

・エルメスの書道家に米袋のデザインを直接お願いし、書いてもらう。

・県内の酒造メーカーと組んで、日本でいちばん高い酒を造ってもらう。

・ミシュランの三ツ星を獲得したアラン・デュカスに米のワインを造ってもらう。

・デジタル・グローブ社と交渉して、人工衛星を使った米の食味測定を無料でやる。

どうだろう、この行動力。この突破力。こうして書いているだけで、テンションが上がり、鼻息もふんふんしてくる。

可能性を無視するのが最大の悪策、と高野さんは主張する。本当に「役に立つ」のが「役人」です、という。いや本当にそのとおりだ。私もがんばらないと。

2012/06/03

「はじめてのアメリカ法」を読んだこと

UCバークレーの公共政策大学院では法律学が必修科目なので、予習を兼ねて樋口範雄「はじめてのアメリカ法」に挑戦してみた。私はアメリカ法についてほぼ無知に等しかったが、ケース(判例)を肴とした滋養ある語り口にゆるゆると惹きこまれながら読むことができた。

例えば、「マクドナルドのコーヒーをこぼしてやけどした81歳の女性に対して約300万ドルの賠償が認められた」という話を聞くと「なんだそりゃ」「狂っとる」などと思うけど、でもその判決に至るまでの経緯(過去10年間で同様の事故のクレームが700件あったのにマクドナルドは何ら措置を取らなかった)や、その背景(マクドナルドはコーヒーの香りを維持するために他店のコーヒーより敢えて高い温度設定にしていた。そして被害者のやけどは植皮しても一生傷跡が残るレベルだった)、あるいは賠償額の相対価値(マクドナルドの1日あたりのコーヒーによる収益は当時130万ドルあまり)を考慮すると、むしろきわめて妥当な判決のように思えてくる。そんな具合に、この本には読者に発見と知的興奮を促す仕掛けがたくさんあって、実に「本の読ませ方」を心得ていて面白い。

アメリカにとって法律というのはつまり、「正義」を具現化するための最も有力なツールなのだ。本書を読んで得た(浅いながらの)私の理解は、それである。

2012/05/31

向こう2カ月間の身の処し方を決めたこと


 月日の経つのは早いものである、とはいかにも凡庸な決まり文句だが、しかしその言葉に嘘は無い。気がつけば2ヶ月後には渡米を控えた身となってしまった。

 今年1月に、私は「向こう半年間の身の処し方」について表明した。今回は、その逐一について私がどれだけ達成できたかを確認するとともに、改めて「向こう2カ月間の身の処し方」について綴ってみようと思う。
 これから留学を志す方には、他山の石として笑覧いただければ幸いである。(もっともこのブログ自体が壮大なる他山の石と言えなくもないけど、まあそれはよしとして)


<リーディング>
 まず、「A practical guide for policy analysis」については、今年2月の記事で触れたように、何とか読み通すことができた(UCバークレーの先輩方が翻訳された「政策立案の技法」が、東洋経済新報社から今年6月に出版予定とのこと。私はすでに予約注文した)。
 次に、「1100 Words you need to know」は、かたつむりのペースでしか進んでいないものの、まだ完全に挫折したわけではない。向こう2カ月間は、もうちょっとだけペースアップして(なめくじのペースで)、切々と単語を覚えていきたいところだ。
 加えて、「ヤバイ経済学」という邦題で日本でもベストセラーになった「Freakonomics」と、アカデミック・ライティングで充実した成果を出すためのコツを軽妙な筆致で紹介してくれる「How To Write A Lot」と、北米の大学に留学する人の疑問点や悩みに対する回答がぎっしり詰まっている「Succeeding as an International Student in the United States and Canada」(※)を、それぞれ面白く読んだ。
 
※ 特に「Succeeding as an International Student in the United States and Canada」は、北米への留学を検討している人たちに広くお薦めしたい良書である。その理由は2つある。ひとつには、生活のセットアップ面において、例えば「住居が決まったら、すぐに自分の住所に自分で手紙を出しましょう。奇妙に思えるかもしれませんが、銀行口座開設などで住居証明として使えるので便利です」といった色気のあるアドバイスが満載であること。もうひとつは、北米の大学特有の価値観や文化的背景にも記述を割いており、「志望エッセイで何をアピールすべきか」といった観点からも参考となるからだ。私自身、もっと早く本書に出会っていればよかったと思っている。

 とはいえ、この程度の読書量ではとても足りないだろう。UCバークレーの先輩から聞いた話では、平均で1日100ページの本(もちろん洋書)を読み、1日10時間くらいは勉強しないと、授業についていくのは難しいとのことである。
 1日100ページ?1日10時間?
 いまの私に、その分量をこなす知的体力があるだろうか。これは間違いなく、無い。本によっては1ページ読むのに5分も10分もかかる私にとって、これは相当に危機的な状況といえる。
これを踏まえ、残すところ2ヵ月間で私が達成すべき目標を以下に挙げたい。

「1100 Words you need to know」の継続。(なめくじのペースで)
「表現のための実践ロイヤル英文法」の再読。(文法は私の深刻な弱点である)
「速読速聴・英単語 Advanced 1000」の読破。(いま半分くらい読み終えたところだ)
「Crossing the Energy Divide: Moving from Fossil Fuel Dependence to a Clean-Energy Future」の読破。(エネルギー・環境政策について勉強しようと購入したものの、ずうっと積ん読になっていた。落ち着いたら読もうなどと悠長なことを言っていると、そんな日はきっと永遠にやってこない)
「The Quest: Energy, Security, and the Remaking of the Modern World」の読破。(「石油の世紀」でピュリッツァー賞に輝いたダニエル・ヤーギンがフクシマ後のエネルギー市場について論じた700ページ強の大著。すでに「探求」という題の翻訳書が出ているが、ここはストイックに原書に挑戦したい)
「Berkeley: A City in History」の読破。(全米で最も先進的な街と評されるバークレーの歴史について書かれた本。これから2年間お世話になる土地について勉強しておけば、どこかで良いことがあるかもしれない)


<リスニング>
 数カ月前にiPod touchを購入したこともあって、ポッドキャストを聴く/観る時間はそれなりに確保できた。もっとも、それがリスニング能力の向上にどれだけ寄与したかについてはあまり自信がないけれど。
 いろいろ購読してみたが、特に気に入った番組を3つ、面白さ優先で以下に挙げる。もちろんすべて無料である。

「Talk Asia」(CNNのインタビュアーがアジア各国の有名人に質問をぶつけまくる番組。ジュリア・ギラード(豪首相)、ゲイリー・ロック(米国駐中大使)から、オダギリジョー(俳優)、秋元康(作詞家)まで、バラエティに富むゲストの話が面白い)
「60 Second Idea to Improve the World」(BBC系列。学者や社会活動家などのゲストが、1分以内に「世の中を良くするアイデア」をブリーフィングする番組。英語の勉強云々を超えて、公共政策を学ぼうとする身にはとても良い知的刺激になる)
「Wild Oceans」(「地球大紀行」とか、「プラネット・アース」とか、ああいうタイプの自然ドキュメンタリー番組。深海から浅瀬まで、夢見るように美しい光景を堪能できる。仕事帰りの電車内で観るには最適だ)

 リスニングについては、引き続き、面白さ優先でポッドキャストを聴き込んでいくこととしたい。ちなみに最近よく聴いているのは、「TED Talks」「CNN Student News」「大杉正明のCross-Cultural Seminar」である。


<経済学>
 スティグリッツの「入門経済学」を読了し、いまはiTunes UでUCバークレーの学部生向けの「Economics」の授業を少しずつ視聴している。しかし、日本にいるうちは、それ以上の領域には手を出さないことにした。
 本当なら「ミクロ経済学」「マクロ経済学」もじっくり勉強できれば良いのだけれど、いま私が優先すべきことは、ひとえに英語能力の向上(特にリスニングとスピーキング)である。そうと決めたからには、あれもこれもと手を広げて沈没するという、私の人生でお馴染みの失敗パターンを再び繰り返すわけにはいかない。そういうわけで、経済学に本格的に親しむのは、渡米後の機会に譲ることとしたい。


<スピーキング>
 UCバークレーの先輩からは、「シャドーイングをしっかりやっておくと良い」とのアドバイスをいただいた。これに従い、押し入れに眠っていた岩村圭南先生のNHKラジオ番組「徹底トレーニング英会話」のCDとテキストを引っ張り出して復習することにした。いまやっているのは2007年放送分。5年も前となると、復習よりも追憶に近いものがあるが、これはこれで悪くない。

 このほかに、下記3つの英語学校に通うことにした。
Business School International 「準上級クラス」(港区虎ノ門にあるビジネススクール風の英語学校で、講師陣もMBA卒のネイティブが多い。週1回、90分。毎回1~2時間くらいの予習が求められる)
CICOM-GLP 「Finance」(千代田区秋葉原にあるビジネススクール風の英語学校で、講師陣の多くがMBA卒である点も上述の学校と同じ。週1回、150分。ハーバードをはじめとするビジネススクールで実際に使われているケースを用いた授業で、毎回3~10時間くらいの予習が求められる。英語「の」勉強というよりも、英語「で」勉強する要素が色濃い)
A to Z 英語学校(文京区根津にある英会話スクールで、日本でも書籍を多く執筆されているデイヴィッド・セインさんが運営している。週1回、60分。予習は特に必要ない。私は奥さんと一緒にセミ・プライベートのレッスンを受けているので、実質的には「英語の勉強」と「夫婦間のコミュニケーション」を兼ねた時間となっている)

 もちろん、英語学校に行けば何でも解決などと強弁するつもりはない。欠点もいくつかある。その筆頭として挙げられるのが、私の銀行口座から結構な金額が流れ出ていくことだ。もうひとつは、(日本の英語学校に通う限りにおいては)生徒は基本的に日本人ばかりなので、どうしても多国籍の緊張感に欠けるというか、ある種の同質性に寄りかかってしまう部分があることだ。
 しかしながら、それを補って余りある長所もある。残業続きの職場を抜け出して(あるいは飲み会の誘惑に打ち勝って)わざわざ平日の夜に集まってくる社会人には意識の高い人たちが多いので、とても良い刺激になるということである。そういう種類の必要経費なのだ、と割り切れば、これは決して高くはない。そう自分(と奥さん)に言い聞かせる日々である。


<総括>
 正味な話、たった2ヶ月で英語力が劇的に向上するなんてうまい話はないだろうし、「2012年入学組でいちばん英語ができない人」のポジションからはどうあがいても抜け出せないんじゃないかという予感もある。しかしそれでもなお、あがけるうちにはあがいていたい。悪あがきこそは劣等生の最大の権利なのだ。


 苦しみは変わらない。変わるのは希望だけだ。(アンドレ・マルロー)

2012/05/19

UCサンディエゴを辞退したこと

「冬眠から目覚めたばかりのナマズのように愚鈍な私がUCバークレーに合格したというのは何かの間違いで、そのうち合格取消しの通達が来るのではないか」という陰鬱な予感が私の心を支配しはじめた頃、UCサンディエゴのアドミッション・オフィスからSkypeインタビューへの招待があった。

 UCサンディエゴのIRPS(School of International Relations and Pcific Studies)は、その名のとおりアジア太平洋に強みを有する国際関係論のプログラムである。私は仕事でここを卒業した先輩方にお世話になる機会が多く、IRPSの学習環境の素晴らしさはよく知っていたし、また政治学や経済学のプログラムが充実しているというのも、私の興味・関心とマッチするものであった。そんなわけで、留学準備のきわめて初期の段階から、このスクールに出願しようと心に決めていたのである。

 私は早期出願(〆切が12月初旬と早いぶん、通常プロセスに先駆けて審査をしてくれる制度)で申し込んだが、早期の合格には至らなかった。その代わりに、早期のウェイトリスト(補欠合格者のリストのようなもの)に載ることになった。こちらの「早期」はあまり嬉しくない。

 そうして季節は冬から春になり、ときにはUCサンディエゴの別の修士コースへの入学を推薦されることもあったのだが、基本的には私の身分に変化はなかった。そんな中で、定員に若干の余裕でも出たのだろうか、ある日突然、私に白羽の矢が立ったというわけだった。

 とはいえ、私はすでにUCバークレーに進学すると決めている。 面白半分にインタビューを受けるわけにもいかない(むしろ、もっと早く辞退しておくべきであった)。そこで、丁重にお断りのメールを書いて、送信ボタンを押すことにした。

 ありがとうございました、UCサンディエゴさん。そのうちそちらに遊びに行くかもしれません。


【補遺】
 Skype等によるインタビューは、他の複数の大学院の入学プロセスでも要求された。聞くところによると、どうもこれは去年や今年といったごく最近の傾向であるらしい。技術革新が世の中を変えるという真理を改めて実感した次第である。英語が苦手な者にとってはあまり嬉しくない変化ではあるけれど。

2012/04/28

UCバークレーの芝生を初めて踏んだこと

 UCバークレーのキャンパスに足を踏み入れたのは、GSPP(Goldman School of Public Policy)のオリエンテーションの前日だった。噂に違わず、楽園のような天気。キャンパスはどこまでも広く、どこまでも美しい。


 それにひきかえ、私の出身大学といえば、ハムスターの小屋のように狭く、美しさという概念からは解放され、おまけに臭かった(実験室の塩酸の臭いが建物の外まで漏れてきていて、食欲の減退に役立った)。そんな環境において、私は、物理数学の単位を落とし、解析力学の単位を落とし、統計力学の単位を落とし、量子力学の単位を落とし、留年が決まり、ぼんやりとした不安を抱え、現実から逃避するようにロシア文学に傾倒し、そして、そして・・・。
おっと、脱線した。ここは私の失意の大学生活について語る場ではない。ともかく私は、UCバークレーの芝生を初めて踏むことになったのである。

 この祝福に満ちたキャンパスを、どのように表現したらよいだろう。再び東京ローカルの話題で恐縮だが、あの緑豊かな新宿御苑の敷地内に瀟洒な建物が散在していて、そのひとつひとつが大学の校舎になっている、そんなイメージに近いだろうか。

UCバークレーの象徴、セイザータワー。
パンフレットの類には必ずと言っていいほど登場する。

絵はがきのようなキャンパスの一風景。

ここもキャンパスの一部。

 キャンパス内ではリスをよく見かけた。これまで動物園以外でリスを見かける機会なんてほとんどなかったから、じっと座り込んで観察してしまった。リスくん(リスさん)にとってはさぞ迷惑だったに違いない。この場を借りてお詫び申し上げたい。
 ところが、道行く若者たちはまるで無関心である。それはたぶん、我々日本人にとっての「JR新宿駅ホーム内を徘徊する灰色の鳩たちに対する無関心さ」と同種のものだろう。リスに対する関心の有無、どうやらこれが、UCバークレーの学生か否かを見分ける試金石であるようだ。


思わず動画まで撮ってしまった。


キャンパス内の博物館にて。


スタンフォード大学とは仲が悪いと聞いていたけど、どうやら本当にそうみたいだ。

ロー・スクールの近くに無造作に置かれていた制作者不明のrecycled art。

GSPPの校舎。景勝地のペンションと言われてもおかしくない外観だ。

GSPP校舎内のリビング・ルーム。ここでよくグループ・ワークなどを行うという。


 GSPPのオリエンテーションは、大人物の学部長のスピーチにはじまり、溌溂とした事務員の説明に支えられ、そして激烈に忙しい日々を送っているはずなのにまったくそのように見えない/見せない優秀なオーラを漂わせている先輩たちの主導で、万事滞りなく進行した。
 具体的には、在校生リードのキャンパス・ツアーがあり、中庭の芝生で食べるランチがあり、卒業生たちのパネル・セッションがあった。全体に共通するのは、教員も生徒も事務員もフラットな関係で、何でも楽しんでやっていこうという雰囲気である。

 初めて顔合わせをする同級生候補たちは全部で50名ほど。学生よりは社会人の方が多いようだった。その職業も教師、市役所職員から金融マン、軍人というレンジの広さである。
 英語圏の非ネイティブは見渡す限り私だけで(註:このオリエンテーションは任意参加なので、本当はもう少し留学生もいるはずだが)、この「アウェイ感」は実際なかなかのものだった。しかし考えてみれば、アウェイどころじゃない、これからここがホームになるわけだ。そう思うと、下腹部がぎゅんぎゅん締まっていく感じになった。

 オリエンテーションには1時間半の体験授業も含まれる。Lee Friedman教授の「The Economics of Public Policy Analysis」である。
 授業では「市場の失敗」と「政府の失敗」が扱われ、その考え方をいかに公共政策に活かすべきか、といった観点から論じられた。体験授業とはいえ、なかなか重めのテーマである。数式もたくさん出てきて、偏微分を意味する「∂記号」が現れたとき、クラスの空気がちょっとだけ沈滞した感じがした。これはたぶん、8月初旬からはじまるMath Review(GSPPの新入生向けに経済学などで使う数学を"おさらい"する授業)の必要性をアピールする狙いがあるのだろう。
 Friedman教授はゆっくりと丁寧に説明される方だったが、それでも私は(甘く見積もっても)説明内容の半分くらいしか聞き取ることができなかった。ペンを握る手が汗ばんで、授業中に20回くらいハンカチで拭くことになった。

 そのとき思い出したのは、以前お世話になった上司の言葉だ。曰く、「英語で一番大事なのはリスニングである。スピーキングなんぞ、I have a penさえ言えれば、あとは気合でどうにでもなる。リーディングも然り、ライティングも然り。けれどもリスニングだけはいくら気合があっても、能力が不足していればどうにもならない。だからリスニングの勉強を最優先とすべきだ」。その方は実際に国際交渉の場面で「I am angry!」と叫んで逞しく主張を通したと聞く。
 再び手のひらをハンカチで拭きながら、なるほどそうかもしれない、と思った。何はともあれ、努力しなければ道は開けないということだ。

東アジア図書館からの眺め。

 気がつけば、オリエンテーションからもう2週間が経つ。結果的に私の心にいちばん深く刻まれたのは、学部長がウェルカム・スピーチで発した、「いまここにいる人たち全員に共通する点がひとつある。世の中を良くしたい(make the world better)という志を持っているということだ。その志を大事にしてほしい。そして、その夢を叶えるための、世界で最高の場所が、このGSPPなのだ」というセリフだった。

 これから私は何度も挫けそうになるだろうし、また実際に挫ける場面もたくさんあるだろう。しかしそのときは、このシンプルで揺るぎない「世の中を良くする」精神に立ち返ってやろうじゃないかと、ちょっと真面目にそう思った。

ビリー・ワイルダー監督の「ねぇ、キスしてよ!(Kiss me stupid)」の主人公が、確かこんな感じのTシャツを着ていたような気がする。欲しかったけど、残念ながら在庫切れ。



正門前の自動車屋台。「どじょう(泥鰌)DOG」って何だ?と思ったが、これはたぶん「どうじょう(道場)DOG」のことだろう。ベジタリアンと銘打っているのに全然そんな風に見えないのが、いい。


2012/04/22

生まれて初めてバークレーを歩いたこと

先日、GSPP(Goldman School of Public School)から入学オリエンテーションの開催案内があった。UCバークレーに入学すると決心した私は、半ば強引に有給休暇を取得し、カリフォルニア州バークレーを訪問した。今回はそのことについて記してみたい。

前にも書いたが、私はこれまでアメリカに行ったことがない。アメリカという国名を耳にして私の頭にまず浮かぶのが和製ミュージカル映画「君も出世ができる」で雪村いづみが歌う名曲「アメリカでは」というレベルである(♪ア~メ~リ~カ・へ・ゆ・け・ば、顔を洗うにもコカコーラ!)。

そんな免疫のなさであるから、サンフランシスコ国際空港に降り立った瞬間から私の警戒心は高まりを見せていたが、意外にも人々の物腰は柔らかく、全体的にとても親切な印象を受けた。どんな按配に親切だったかというと、例えば以下のとおりである。

・ユナイテッド航空の機内に置き忘れてしまった私の眼鏡を、サービスセンターの黒人が熱心に探してくれた。眼鏡は見つからなかったのだが、黒人は「かわいそうなボーイ、残念だったね。今日はどこに泊まるんだい。えっ、バークレー?それはよかったじゃないか。ボーイ、バークレーに行けば眼鏡屋さんもきっとある筈さ。」と大いに同情してくれた。
(数時間後、ほかならぬ私のリュックサックから眼鏡がするっと出てきた。私は人生で何千回目かの自己嫌悪に陥った)

・ドライバーの歩行者に対する態度が全体に紳士的であった。これは客観的に言って車の方に分があるんじゃないか、という場面でも、先に横断するよう私に手振りで示してくれることが多かった。これはマナー云々というよりも、単純に歩行者優先のルール(違反すると罰則を伴うルール)がカリフォルニア州内で徹底されているからかもしれないが。

・持参していたCanonのデジカメ「IXY 600F」のバッテリーが切れてしまったので(充電器を持ってくればよかった)、たまたま見つけた家電量販店に入ったところ、IXYシリーズにも使えると謳われているバッテリーが20ドルで売っていた。一見すると使えそうだが、もし駄目だったらどうしようと考えあぐねていたところ、若き日のポール・ニューマンに似たナイスガイがやってきて「お困りなら実際に試してみましょうや」みたいなことを言って、そのパッケージをハサミでちょきんと切って商品を取り出してくれた。結果的には「IXY 600F」には適用できなかったのだが、その場で返金してくれたので、お金は一銭もかからなかった。

ベイエリアを中心に走る 、BART(バート)と呼ばれる地下鉄。これに乗ればサンフランシスコ国際空港からバークレーまで約40分で行くことができる。とても便利だ。


土曜日の午後に到着したところ、ちょうどファーマーズ・マーケットが開催されていた。環境意識の高い市民が多く住むバークレーでは、こういった催しが定期的に行われているという。


スペインの植民地であったためか、コロニアル風の建物が多い。写真はベトナム料理店の「サイゴン・エキスプレス」。ベトナム料理店というより、ちょっとした高級百貨店のような風貌だけど。



スターバックスの創業者も働いていたという、「ピーツ・コーヒー&ティー」。バークレーが発祥地とのことで、あちこちで見かけた。


迷い猫探しの張り紙。手でちぎられた連絡先が、住民の優しさを物語る。ルーファスくん、無事に見つかったのだろうか。


バークレーの印象を日本の町に例えるなら、どうだろう、(東京ローカルで申し訳ないが)文京区の本郷や根津といったあたりだろうか。そこにときどき台東区の上野が入りこんでくる。そんなイメージだ。あくまで私の主観に過ぎないが、双方には、

・敷地の広い大学があって、それがその地域のシンボルになっている。
・学生向けの店が多い。高級レストランは少ない代わりに、安くて美味しい店ならたくさんある。
・都会に近いが、都会ではない。むしろ雰囲気は下町のそれで、地域住民主催のイベントも頻繁に開かれる。

といった共通点があるように思えた。

こんなところは刺激が少なくて退屈だと感じる向きもあるかもしれない(確かにサンフランシスコと比べると刺激は目盛り5つ分くらい少ない)。しかし、図書館で勉強して、古本屋をぶらついて、喫茶店に入って、ちょっとジョギングして、たまにコンサートを聴きに行って、といった暮らしを理想とする私にとっては、文句を言う隙のない環境である。

街にはホームレス風の人もいる。その目つきや振る舞いは、日本の同業者とあまり変わらない。でも中にはスターバックスのカップを持って悠々と歩いている、貧しいんだか裕福なんだかよくわからない人もいる。そんなお金があったらもっと栄養になるものを買えよな、と思うけど、まあそれは余計なお世話というものだ。バークレーに住むホームレスとして「武士は食わねど高楊枝」的な矜持を保っているのかもしれないし、スターバックスが慈善事業としてカフェモカのグランデをホームレスたちに無料で配っているのかもしれない。あるいは、最も投げ銭の集まる入れ物がスターバックスのカップであることを経験的に知っていて、それである種の「設備投資」として購入しているのかもしれない。

ここまで長々と書いてきて、肝心のUCバークレーのことにまったく触れていないことに気がついた。期待された読者の方には誠に恐縮だが、次の機会とさせていただきたい。

2012/04/09

UCバークレーへの進学を決めたこと

 何事によらず、決断というのは難しい。何かを選ぶということは、つまり、別の何かを選ばないということだから。

 いろいろ迷ったが、最終的に、UCバークレー(Goldman School of Public Policy)に進学することに決めた。コロンビア大学(School of International and Public Affairs)もコーネル大学(Cornell Institute for Public Affairs)も、私にはあまりにもったいない、ゴキブリにフォアグラを食べさせるくらいもったいない素晴らしい学校である。
 しかし、エネルギー・環境を軸として自分の関心分野について死ぬほど勉強できそうなところはどこか、あるいは、怠惰な自分に逃げ道を与えず厳しく鍛えてくれそうなところはどこか、という点から、私にとって最善の選択肢はUCバークレーだと思った。学年で一番の劣等生になるであろうことは最初から分かっているのだが、それでもUCバークレーで、GSPPで悪戦苦闘していこうと思った。

 人生は一度きりなのだ、そして誰の人生にも必ず終わりがくるのだ、と、最近とみに思うようになった。東日本大震災の影響かもしれない。あの恐るべき津波に飲み込まれた人たちの、倒壊した建物の下敷きになった人たちの、彼ら/彼女らの魂は、闇の奥へと音もなく消えてしまった。しかし私はこうして生きている。なぜだろう?

 彼ら/彼女らと私の間に、一体どんな違いがあるというのだろう?


 不細工で恥の多い人生だけど、それでもまだ現在進行形の人生だ。やるからには、やってみようじゃないか。よろしくお願いします、UCバークレーさん。

2012/04/08

自動車教習所に通いはじめたこと

 SF映画などにときどき出てくる、過去と現在を自由に行き来できる奇妙な穴が(時空間の歪みだか何だかによって)もし目の前に現れたとしたら、私は傍らの1.5リットルの飲料水用ペットボトルを手にして、大学時代の私の頭頂部に向けて思い切り振りおろしたに違いない。そして叫ぶだろう、「なぜお前は自動車免許を取っておかなかったんだ!」と。

 その理由は自分でもよく分かっている。およそ7年前の話だ。その頃の私は、地球環境の保全の観点から、自動車を目の敵にしていた。地球環境の保全なんていうとちょっと格好いいかもしれないけれど、実はそのほかにも理由があって、それは例えば「視力が悪くなっていたのに眼鏡をかけるのが何となく嫌だった」とか、「皆と同じことをするのが嫌だった」といったもので、まあ要するにアホだったのだ。1.5リットルの飲料水用ペットボトルを頭頂部に振りおろされておけば良かったのだ。本当に。

 そんな体たらくであったのだが、先々週から、自動車教習所に通いはじめている。今年の夏に日本を発つことを考えると、タイミング的には結構ぎりぎりである。
 もちろんアメリカでいきなり免許を取るという手もあるだろう。経験者は一様に「向こうで取る方が簡単だよ」と言う。確かにそうかもしれない。しかし、あまりに簡単に免許が取れてしまうというのも個人的には考えものである。運転には慣れてきたけどお婆ちゃんは3人ほど轢いちゃった、というのではうまくない。そんなわけで、初運転はたぶんアメリカになるのだが、その前に日本の教習所で修練を積むことにした。お婆ちゃんは大事にしていきたいと思うから。

 私はいま、アクセルとブレーキの違いを理解したところだ。そして、カーブも曲がれるようになった。右回りだって、左回りだって、どんとこいだ。
 坂道発進とか、バックとか、縦列駐車とか、そのあたりのことは、私にはまだお尋ねにならないよう、よろしくお願い申し上げたい。

2012/04/05

スティグリッツ「入門経済学」を読んだこと

当初の計画よりも遅れてしまったが、ようやくスティグリッツの「入門経済学」(Introductory Economics)を読了した。お酒に弱い人が焼酎をちびちびとなめるように、少しずつ少しずつ読み進めていったので、達成感もひとしおであった。

私はこれまで経済学と名のつく学問に取り組んだことが無かった。しかし、まがりなりにも日本社会のサラリーマン、もといビジネスパーソンとして仕事をしていると、そのことを後悔する場面は少なくない。例えば、経済学の素養を積んだ人と意見交換をしていても、いまひとつ議論のトラックに乗り切れないというか、ある種の引け目を感じてしまうことがよくあった。
これを克服するためには、たぶん、断片的雑学的にではなく、しっかりと系統的に経済学を勉強する必要がある。そんなわけで私は一念発起して、経済学部の学生の教科書としても定評のある同書に挑戦することにしたのである。

この500ページを超える大著を(意外にも楽しく)読んだ私の感想は、主に以下の2点である。
ひとつには、経済学は、いまそこにある問題への解決策を対症療法的に与えてくれるものではないけれど、もう一歩下がったところで、問題に対する考え方の枠組みを授けてくれるものなんだな、ということだ。
もうひとつは、公共政策学という学問体系には思ってたよりも深く経済学が関わってくる、というか、むしろ経済学こそが公共政策学の基幹をなすものなのだ、ということである。
経済学を多少なりとも学んだ経験のある方にとっては、もしかしたらどちらも当たり前にすぎることかもしれない。しかし、私には重要な気づきであった。例えば、「失業とインフレーションはトレードオフ(交換)の関係にある」という経験則があって、これはすなわちインフレ率が上がると失業率は下がるけど逆もまた然りだよ、ということである。何でそんなことが言えるのか、あるいはその法則はいつどんなときにも正しいものなのかについて疑問を持たれた向きは、本書を読むと得心すること請け合いである(丁寧で滋養ある解説がこの本の素晴らしいところだ)。いずれにせよこのことを分かっているのと分かっていないのとでは、今後政府が何を為すべきか(何を為さざるべきか)について考える上で、相当な差が出てくるに違いない。

本書と併せて、岩田規久男「経済学を学ぶ」も読んだ。Amazonで評価が高かったので購入したのだが、評判どおりの素晴らしい本。無味乾燥な知識の羅列に堕すことなく、スティグリッツの本と同じように、物事の考え方、アプローチの仕方に力点が置かれているのが良かった。新書サイズで手軽に読めるのも良い。「入門経済学」を鞄に詰めて毎日通勤するのは、なにせ大変だったんだから。

2012/04/02

コロンビア大学に合格したこと

コロンビア大学(School of International and Public Affairs)に合格した。
Admission Officeからのメールが例によって「リンク先を参照ありたい」のパターンだったので、やはりダメだったかと落胆しつつページを開くと、入学許可を告げる内容だった。なるほど、そういうこともあるんだ、と思った。

SIPAは公共政策学/国際関係論の分野で世界的に名高いスクールで、留学生への門戸も広い。合格通知の文書によれば、これまで約1万8千人、150ヶ国以上の卒業生を世に送り出したという。多様な国籍の、知的にエッジの効いた人たちと切磋琢磨して視野を広げたい私にとって、これ以上ないくらい理想的な環境である。加えて、専攻として「エネルギー・環境」の分野を選択できるというのも、私にはクリティカルな要素だった。

思い起こせば、私が最初に興味を持った公共政策系の大学院がSIPAであった。同校出身の日本人10名による共著「コロンビア大学院で考えた世界と日本」を読んで、世の中にはこんな場所があるのか、という初歩的なところで感動したのを覚えている。それからずっと、SIPAは私にとって憧れの公共政策系大学院であり続けた。

しかし、ほんの少しだけ気になる点を挙げるなら、
・日本人の多さ(他の大学院に比べても日本人が多く、ややもすると英語力があまり上達しないというリスクがある。そんなのは心構えひとつでどうにでもなる、と言えばそれまでだし、帰国後にも活きる人脈という面ではむしろ利点なのかもしれないが。)
・マンモス校ゆえの授業の「当たり外れ」の多さ(とあるSIPA卒の先輩からは、「授業履修の選択肢が膨大なのは事実。他方で、質のさほど高くない授業があるのも事実」との意見もあった。もちろん実際に体験してみないと分からないだろうし、また単にその先輩の求める水準が格段に高かっただけなのかもしれない。しかし、生徒数と授業数のスケールが大きくなると、確かにそうした面が出やすいようにも思える)
といった点である。そうはいっても、これは無理やりつけるケチの類であって、SIPAの魅力を根底から覆すものでは決してないのだが。

というわけで、コロンビア大学が私のポケットに入ることになった。というか、入っていただけることになった。
ありがとうございました、コロンビア大学さん。あなたの背中を、ずっと見てきました。

2012/03/25

UCLAに落ちたこと

カリフォルニア大学ロサンゼルス校(Luskin School of Public Affairs)から、不合格の通知をもらった。
「あなたの出願に対する審査結果が出た。リンク先を参照ありたい」といった簡潔な文章。私もだんだん慣れてきて、「あ、これはダメなパターンだな」とすぐに察知したのだが、案の定、リンク先を開いてみると「We are regret to...」であった。

UCLAは、スタンフォードやUCバークレーと並んで西海岸を代表する総合大学である。ここの公共政策大学院は「SPA(School of Public Affairs)」の通称で親しまれているという。私のような低俗な人間がSPAと聞くと、どうしても「グラビアン魂」や「だめんず・うぉ~か~」などの連載で有名な某雑誌を思い浮かべてしまう(私は「佐藤優のインテリジェンス人生相談」が好きである)が、しかしそんなこととは何の関係もない。

SPAは、UCバークレーのGSPPと同様に、必修科目の数が多いのが特徴である。例えばミクロ経済学、統計学、政治学といった科目のほか、リーダーに求められる交渉力などのスキルを学ぶ「21世紀のマネジメント」(Management in the 21st Century)といった、プロフェッショナル・スクールならではの科目の履修も義務付けられているようで、惹きつけられるものがあった。また、UCLAでは一般的に2学期制(セメスター制)ではなく4学期制(クォーター制)を取っているため、慌ただしくも多くの科目を学べるというのも、もうひとつの特徴と言えるだろう。

不合格通知をもらった理由を推量するくらい虚しい行為はないことは十分に知りながら、敢えてそれをするならば、SPAの求めるTOEFL iBTのミニマム・スコアに達していなかった(スピーキングの基準点は24点であったが、私は22点しか獲得できなかった)という点が挙げられるかもしれない。とはいえ、それでも合格した人もいるらしいので、その他の諸々の条件を鑑みた上でも、私は合格ラインに届かなかったということだろう。

まあそんなわけで、私はSPAに落ちてしまった。ありがとうございました、そしてさようならUCLAさん。学校の方には縁がなかったけれど、雑誌の方は読み続けますからね。といっても何のフォローにもならないけれど。

2012/03/24

UCバークレーに合格したこと

カリフォルニア大学バークレー校(Goldman School of Public Policy)に合格した。
まさか受かるとは思っていなかったので、嬉しいというより不安が先に立った。おいおい、本当かよ。何かの間違いなんじゃないか?と思った。というか、いまでもそう思う。

GSPPは、政策分析の分野で全米1位、環境政策の分野で全米3位にランクされる(出所:US News and World Report 2012)文字通りのトップスクールである。他の公共政策大学院(例えばコーネルのCIPAやコロンビアのSIPA)に比して必修科目が多く、経済学や統計学、政治学などの分野において、基礎から実践までみっちり叩き込まれるという特徴を有している。理系出身の私にとっては、かえってありがたいことかもしれない。

スクールの規模が小さいというのも、GSPPの特徴に数えられるだろう。ここを卒業した先輩の話によれば、1学年につき生徒数は70名程度で、それゆえに教授陣から事務方までが各生徒を知悉しているとのこと。専用の校舎は、かつて寮であった建物を改築したもので(元食堂でグループディスカッションをすることもあるらしい!)、そういった要素も含め、とてもアットホームな雰囲気であるようだ。私はいままでの人生でそのような環境に身を置いたことがなく、どうも具体的なイメージができなくて悲しいのだが、それはきっと素敵な場所であるに違いない。

しかし、敢えて気になる点を挙げるとすれば、

・留学生の少なさ(全体の約3割が留学生というケースもあるようだが、僅か2名しかいないという年次もあるようだ。自分以外がほぼネイティブというのは、前向きに捉えればこの上なく鍛えられる好環境だが、かなりストレスフルでもありそうだ。特に私のように英語を不得手とする向きには。)

・西海岸ゆえのドメスティックさ(上述とは別の卒業生の話によれば、GSPP自体は文句なく素晴らしいスクールだが、やはり国際機関を数多く有する東海岸に比べると若干ドメスティック、すなわちアメリカ国内 and/or カリフォルニア州内の政策イシューに偏りがちであると感じたとのこと。まあ、この方が卒業したのは10年以上も前なので、いまはずいぶんと状況が変わっているのかもしれないが)

といった点である。しかし本当にそうなのかは蓋を開けてみないと分からないし、仮にそうだったとしても、本人の努力や創意工夫(?)でフォローできる範囲の話とも考えられる。

そんなわけで、いまだに信じられないことだが、UCバークレーは私に門戸を開いてくれた。ありがとうございました、UCバークレーさん。人違いじゃないと良いのだけれど。

2012/03/20

ハーバード大学とプリンストン大学とスタンフォード大学に落ちたこと

ハーバード大学(Harvard Kennedy School)とプリンストン大学(Woodrow Wilson School of Public and International Affairs)とスタンフォード大学(Ford Dorsey Program in International Policy Studies)から、示し合わせたかのように立て続けに不合格の通知があった。
いずれも全米最難関の大学群であり、最初からダメモトで出願していたのだったが、「もしかすると・・・!」という淡い期待が胸中にあっただけに(この気持ち、お分かりいただけると思う)、残念な結果であった。

Harvard Kennedy Schoolは、公共政策学の分野で最も高名な大学院のひとつだ。私が昨年まで所属していた部署にはケネディ・スクール出身者が2人も居て、どちらも智徳を兼ね備えた素晴らしい方であった。この学校がどんな理念を持って、どんなプログラムを有しているかを知りたい向きは、私が多弁を費やすよりも、池田 洋一郎「ハーバード・ケネディスクールからのメッセージ」と杉村 太郎「ハーバード・ケネディスクールでは、何をどう教えているか」の書籍に目を通された方が良いだろう。

Woodrow Wilson Schoolも、全米で最も傑出した公共政策大学院のひとつである。ハーバード、UCバークレー(Goldman School of Public Policy)と並んで、私にとって「高望み3大学」のひとつであった。計量経済学などの理論に重きを置いているのが特徴で、全米でも屈指の治安の良さ、教師1人あたりの生徒数が少ない(1:6くらい)、ノーベル経済学者のポール・クルーグマンなど優秀な教授が多数在籍している、などの好条件が私をぐんぐんに惹きつけた。

Ford Dorsey Program in International Policy Studiesは、純粋な公共政策学ではなく、国際政治経済学のスクールである。とはいえ、シラバスに目を通せば経済学や政治学はもちろん、政策分析からエネルギー・環境まで私の関心分野は満遍なくフォローされている。また、昨年読んだ「米国製エリートは本当にすごいのか?」の著者(佐々木 紀彦)がこのスクールの出身で、本書を非常に興味深く読んだこともあり、出願意欲をかきたてられたのだった。提出書類のひとつである約20ページの分量のアカデミック・ライティングは、すべての留学プロセスを通じて私が最も辛酸を舐めた課題だったのだが。

まあそんなわけで、上記3大学には、つるんと落っこちてしまった。全力を尽くしたので、悔いはまったくない。と言いたいところだが、本当は、ちょっぴり悔しい。いや、実を言うと、すっごく、悔しい。でもまあ仕方がない。世の中には、手に入るものよりも、手に入らないものの方が、数としてはずっと多い。私がこの29年間の人生で学んだことだ。

そんなわけで、ありがとうございました、ハーバードさん、プリンストンさん、スタンフォードさん。あなたたちは、私にはやっぱり遠かったよ。

2012/03/17

UCSBに落ちたこと

カリフォルニア大学サンタバーバラ校(Bren School of Environmental Science & Management)から、不合格の通知があった。
不合格になると「We are regret to inform...」ではじまるメールが来ると聞いていたが、本当にそのとおりのメールが来て、とても残念だった。

Bren SchoolはMaster of Environmental Science & Management (MESM)という、ちょっと変わった修士号のプログラムを提供している。ここは、西海岸ではたぶん唯一の環境スクールだ。パンフレット等を読む限り、地学や生物学といった理系分野と、法律学や経済学といった文系分野がほどよく融合しているようで、いまの仕事で双方の知見を必要としている私にとっては願ったり叶ったりなスクールであった。

加えて、サンタバーバラは治安が良く、風光明媚な街であるようで(Bren Schoolを卒業された方にも尋ねてみたが、まさしくそのとおりとの力強い回答があった)、これもまた家族連れを予定する私にとっては大きな魅力であった。

しかしながら、私のバックグラウンドはそれほど深く環境分野に関わっているとは言えず(むしろどちらかというと環境を破壊する方だ)、それゆえにエッセイでも説得力に溢れるキャリア・ゴールを打ち出せなかった、というところに敗因があったのかもしれない。

まあそんなわけで、私はBren Schoolにはご縁がなかった。
ありがとうございました、サンタバーバラさん。そしてさようなら。またいつか会いましょう・・・・いや、もう会うことはないかもしれないけれど、人生はどうなるか分からない。

2012/03/16

コーネル大学に合格したこと

コーネル大学(CIPA: Cornell Institute for Public Affairs)に合格した。
合格すると「Congratulations!」ではじまるメールが来ると聞いていたが、本当にそのとおりのメールが来て、とても嬉しかった。

CIPAは公共政策大学院の中でも授業履修の柔軟性が高く、生徒が興味の赴くままに計画を立てられる(例えば、経済学を重点的に学びながら、ビジネススクールとロースクールの面白そうな授業にも出てみるなど)のが特色であるようだ。逆に言うと、何を学ぶかという気持ちがしっかりしていないと低きに流れてしまうことでもあるのだが。

Admission Officeの方も親切で、いろいろとメールを送ってくれる。先日は、現役の2年生から長文のメールが届き、わりと気さくな感じで「私は10年くらい国際機関で働いていたのよ~」とか、「ジョンズ・ホプキンスとコロンビアとLSE(ロンドン・スクール・オブ・エコノミクス)とUCバークレーとコーネルに受かったんだけど、直観でコーネルに決めたのよ~」とか、「イサカ(コーネル大学のある町。ニューヨーク州の郊外にある)って、ぶっちゃけ田舎だけど、なかなか住み良いところよ~」とか、そのほかにもいろいろ個人情報満載なことを教えてくれた。良い人だ。

しかし、私が少し気になるのは、

・寒さ(在校生のブログで「0℃を超えると温かくなった気分」といった趣旨の記述を見て、驚愕。パンフレットの写真で女学生が雪中のキャンパスをTシャツで悠々と歩いているのを見て、また驚愕。)

・寮費の高さ(資料によれば、月あたり約1,900ドルとのこと。コーネルはホテル学でも有名なので、何か特別なホスピタリティがあるのかもしれないけれど(?)、さすがにこれは厳しい。)

の2点である。まあ、寒さについては、ある程度は慣れの世界なのかもしれないし、前向きに考えると余計なことを考えずに学業に専念できる要因と成り得る。寮費の高さについては、自力でアパートメントを探せばよいというだけの話だろう。

そんなわけで、コーネル大学は私にとって申し分ないところである。というか、身に余る光栄である。ありがとうございました、コーネルさん。


(2013年9月11日追記)
 各種検索エンジンで「コーネル大学」と入力すると、本記事が上位にくるようだ。そこで、「コーネル大学には関心があるけどUCバークレーには関心がない」という読者のために、かつて卒業生の方から伺った生活情報を以下のとおり追記したい。
 ただし、筆者自身はコーネル大学を訪れたことがなく、これらはあくまで二次情報であることをご留意されたい。

・ コーネル大学の所在地であるニューヨーク州のイサカは、州西部のFinger Lakeそばに位置する小都市。人口は約3万人。(参考:日本で人口3万人に近い都市は、北海道名寄市、茨城県高萩市、福井県小浜市、和歌山県有田市など)

・ 全体にとてもリベラルな雰囲気。その好例として、農家直売の野菜を販売するファーマーズ・マーケット、地域通貨「Ithaca Hour」、環境配慮型コミュニティ「Eco Village」など。シュタイナー系の幼稚園や、チベット仏教の僧院まである。大学町であるため人種も多様で、アメリカの中でもきわめて特殊な地域というイメージ(もちろん、いい意味で)。

・ 夏は涼しく、冬は寒い。真冬にはマイナス10℃を下る日も多いが、内陸部にあるため積雪量はあまり多くない。春の到来は4月~5月で、緑が一斉に生い茂る光景は感動的。

・ 都会の刺激を求めて、「新幹線感覚で」ニューヨーク中心部まで飛行機で出かける人もいる(1時間程度で行ける)。
 

コーネル通り@バークレー